2008年 01月 29日
建築の時間 |
第10回目となる法政大学建築学科・建築フォーラムは後藤武さんに講演していただきました。
講義の流れとしては、timeとmontageについて、ミース・ファンデル・ローエの
less is moreとuniversal spaceの考え方を挙げて、講義していただきました。
less is more ・・・余分なものをそぎ落としたものこそ、より豊かなものである。
universal space ・・・フレキシブルで機能を代入可能なワンルーム
ファンズワース邸
土地をかなりスタディしていて、水が張ってくると、白い船のようになるそうです。
雪のファンズワースもいい、と後藤先生はおっしゃっていました。
木の位置が計算されつくされていて、近景と遠景のパースがすごい構図が取れています。
ラーメン構造ではなく、H構を外に出し片持ちになっています。
地面と柱の接地部分は、スチールが錆びないよう普通は浮かせるが、ミースは、ずっと伸びているかのように錯覚させるように設計しているそうです。このようなディテールの処理が、less is moreにつながるのだと思いました。
ミースは空間を作るというよりは、時間をデザインしていた。
ミースの初期の作品は、順路をつくりシークエンスを楽しませる、建物を経験させる順路のデザインをしていました。
バルセロナパビリオン
パウル・クレーの作品
ある時期、ミースはクレーの作品を研究し、二次元の画面に時間を圧縮する方法として、目で線を追わせることにより時間を発生させることに気づく。それを境にして、パースと時間を共存させたユニバーサル・スペースのデザインに設計を変えていったそうです。
クラウンホール・・・空間の内部に梁が出ないようにしています。
ナショナル・ギャラリー・・ジャッキで屋根を持ち上げ、柱を後で入れたそうです。
ミースのプレゼンボード、パースに彫刻や絵画がコラージュされています。
それにより、パースに時間が共存している空間を提案しています。
モンタージュ・・複数のコンテクストの異なるものをひとつの絵に表現しています。
キュビズム・・・様々な角度から、絵をひとつに納めています。
これらの芸術作品もミースの作品に影響を与えていたそうです。建築は文化の現れであるという事を再確認しました。私事になりますが、2年生のときミースの作品を研究して、それを反映し別荘を設計するという課題に取り組みました。そのとき、私は自由な壁によるシークエンスとユニバーサル・スペースが反映した建物を設計しました。今回講義を聞いて、ミースの時間の取り入れ方が、時間を経験させる(つまり引き延ばす)から、時間を圧縮するに変わっていったという認識がないまま、設計してしまっていた事に気づかされました。ミースの作品の経緯を踏まえた、建築の時間に関する講義はとてもわかりやすかったです。貴重なお話をどうもありがとうございました。
DATE : 2008年1月28日
レポート W-studio 阿部哲也
写真提供 後藤武
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後藤武
1965年 横浜に生まれる
1998年 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了
1998年 隈研吾建築都市設計事務所
2003年 一級建築士事務所UA共同設立、取締役
2004年 中部大学高等学術研究所助教授
2006年 後藤武建築設計事務所設立
現在 慶応義塾大学理工学部、横浜国立大学工学部、東京理科大学工学部非常勤講師
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下学生のレポートです。
「建築とは」
05D7097 成毛香月
・ 建築を空間と考える事は多々あるが、後藤武先生は建築は時間の
芸術と考える
・ ミース・ファンデル・ローエは建築の余分なモノをそぎ落とすことに
よって、より豊かなモノを作った。
・ ユニバーサル・スペースの先駆者。
・ フレキシブで機能を代入可能なワンルームを作ったのがミース・ファ
ンデル・ローエ。
・ ファンズワース邸はワンルームという美しさを生み出した住宅。
・ イリノエ大学のクランホールやベルリンのナショナルギャラリーも良
い例
・ ファンズワース邸は、自然との相性が非常に良い。
雪のファンズワース邸、水との関係までが考えられたデザイン!?
・ ファンズワース邸の敷地にある木の配置はレイアウトを設計されてい
るかのよう。見る角度によって全く風景が違うように見える。円形や
クローズアップの景色。
・ 何でも利用できる箱を作りたい!!
・ エスター邸やランゲー邸はミース・ファンデル・ローエのドローウィ
ングがもとにされている。45度ずつずらして、ずらして、ずらして
視線が通るようになっている。
・ 順路、シークエンスを作って人を歩かせる。歩かせながら、叙々に全
体をわかってもらう。建物を経験させる順路の建築。時間をデザイン
している。
・ サヴォワ邸はシークエンスのデザインである。
映画のフィルムに見るような、水平連想の窓。
・ ミース・ファンデル・ローエ⇔コルビジェ
・ バロセロナパビリオンはずらしたところに動線が作られている
・ 時間を編集したい。写真...空間でやりたい
・ 1つの空間に入っていないモノを入れていきたい。
時間をどんどん圧縮して、同時に時間を何でも当てはまる普遍的な
モノへ。
・ ハット邸は、インターンガーデン(緑いっぱいの温室)が部屋の壁に
映る。壁には死んだ植物がある。生きている植物と死んだ植物が空間
を作る。複数のモノを合わせうつして、時間を感じさせる空間を作っ
ている。
今回、後藤武先生に「建築に時間」という題でお話をしていただいた。
はじめに後藤武先生がおっしゃっていたように、「一般てき、日本では建築は空間を作っている」ということは、漠然とわかる。何もないところ、例えば草原や砂漠に何かを作るだけで、今までになかった空間が生まれる。空間の定義も様々あって難しい。辞書によると『①物体が存在しないで空いている所。また、あらゆる方向への広がり。「―を利用する」「宇宙―」「生活―」②哲学で、時間とともにあらゆる事象の根本的な存在形式。それ自体は全方向への無限の延長として表象される。→時間③数学で、理論で考える前提としての一つの定まった集合。その要素(元)を点とよぶ。普通は三次元のユークリッド空間をいう。④物理学で、物体が存在し、現象の起こる場所。古典物理学では三次元のユークリッド空間をさしたが、相対性理論により空間と時間との不可分な相関性が知られてからは四次元のリーマン空間も導入された。』と定義されている。私は課題を与えられた時、その場所で気持ちのいい空間とはどのようなモノかを考えて課題に取り組んでいる。空間という定義は自分の中で、まだ噛み砕ききっていないが、漠然ととらえながら考えてきていた。
ただ今回は「建築は時間」という、今まで考えたことのないことについて考えさせられた。私には、なかなか理解できないすごい世界に感じた。建築で時間を感じさせるということはどのようなことなのか、未だにわからない。難しい。
時間を感じさせる建築の例として、トゥーゲンハット邸は比較的わかりやすかった。トゥーゲンハット邸の仕切りの壁にはレモンや黒檀などの高級木材の薄板が張られていた。そしてそこの壁には、温室にある植物が移っていた。これが建築で時間を現した空間らしい。死んだ植物と今生きている植物を重ねあわせる事によって、時間を感じさせる建築を作っていた。なぜか、その写真に魅力を感じた。
まだまだ勉強不足で理解できない事は多々あるが、今回感じたのは、何かを訴えかけている建築は、みんなに魅力を感じさせるモノになるように感じた。また、その訴えが簡単にわからないほど、より魅力を持つ建築になるのかもしれない。
「実と虚」
05D7135 吉田敦
建築の時間。建築にはその内部を体験する時間がある。今回の後藤先生の講演はその建築の時間についての講演であった。
二十世紀、モダニズム建築の巨匠ミースファンデルローエは less is more universal space を提唱した人である。ミースの作品、クラウンホールやナショナルギャラリーに見られるユニバーサルスペースとは一般解釈として、一つの大空間を可動間仕切りなどでフレキシブルに使うことが出来る空間の事である。辞書的な意味ではユニバーサルスペースとは普遍的な空間。と題される。しかしuniversalの本来持つ意味、それは 偏在する、あちこちにある といった感じである。この本当のユニバーサルな空間をミースは提案している。というのが今回の講演であった。
ミースの代表作であるファンズワース邸は1947年に建てられた有名な建築である。
クライアントに頼まれて作られたこの家は多くのもめ事をかかえ一度もクライアントが住んでいない家らしい。大きな敷地に対してとても小さく作られ、たった一つの住居の箱が置かれただけの建築である。その小さな建物は大きな豊かな自然環境のなかに建ち、シンプルに構成された内部空間には隠されたいくつかの意図があるという。
四面全てを囲む大きなガラス窓は周囲の自然環境を豊かに内部にとり込むと共に、夫々の場所から見える風景は意図されてように表情をかえる。近くには小さな河川が流れ、年に何度かこの川が反乱する時にはこの家は水上に浮かぶ船のようになる。雪が降れば白の中にぽつんとこの建物が姿をみせる。このようにこの建物は自然計画が豊かに取り込まれた建物である。
これらのガラス窓越しに見えるそれぞれ違った風景とは何なのか。
ミースがユニバーサルスペースを提唱していた時代、ミースは好んでパウルクレーの画を集めていたという。画という一瞬で全体を把握出来るものの中に様々な重なりが表現された作風をこのパウルクレーはもっていた。その画を好んで集めていたミースの作品にはその重なり、つまりモンタージュが強く反映されていた。初期のミースの作品であるエスターランゲ邸のスケッチからはユニバーサルスペースからはほど遠い感覚を覚える。白いキャンバスの橋から長い壁が中心へ向かって延び、中心周辺には幾つかの壁が立ち並ぶ。その壁の端と端には45度の角度の幾つかの補助線を引くことが出来る。
この頃のミース作品には明らかにシークエンスを重視したスケッチが残っているのだ。
ではこのシークエンスを重視して建築内部を循環させようとしていたミースがユニバーサルスペースにどう繋がっていったのだろうか 。
ここで建築の時間というものが出てくる。ミースは建築を体験する時間をどんどん短縮しようとしていったのだ。
バルセロナパビリオン、これもミースの代表作であるが、この内部に置かれた中には時間短縮の思考が見える。一枚の大きなガラスには周囲の風景が映り込み、そのガラスの奥に見える実の物が重なり合って見えてくる。実と虚のコラージュが意図されたようにも見える。事実ミースの作品のいくつかにこのような場面がある。
建築を時間を追って巡らせようとしていたミースの思考は、序所に時間の短縮を行い、一度に複数のものを経験させる、それが一つの空間の中に全ての空間を体験させるといったユニバーサルスペースをつくりだしたのである。ミースが好んだパウルクレーの画のような空間をミースは作り出そうとしていたのではないか。
実と虚。私は絵画についてあまりよくわからないが、絵画は全ての物が人に描かれた実である。絵の具だったり、ペンのラインであったり。しかし、その実の中に虚の世界を描くことが出来るのが画である。それに対し建築は実の空間は全て実である、虚をつくることは出来ない、そこに存在する物は全てが実である。
そこにミースが提案するユニバーサルスペースの本当の狙いがあるのでは無いかと私は思った。あちこちにある、というユニバーサルの本来の意味。一瞬でそこにある全ての物を把握できる画に対して建築という物は、時間を経過して、序所に空間を把握していく。その時間を短縮していく事によってミースは実だけで構成される建築という存在の中に虚を創り出そうとしたのでは無いか。
今回の講演はいつもになく抽象的なものであった。しかし、建築という物を本質的な面で見る面白さと違って、抽象的に建築を見ると建築の奥深さが出てくる気がした。
講義の流れとしては、timeとmontageについて、ミース・ファンデル・ローエの
less is moreとuniversal spaceの考え方を挙げて、講義していただきました。
less is more ・・・余分なものをそぎ落としたものこそ、より豊かなものである。
universal space ・・・フレキシブルで機能を代入可能なワンルーム
ファンズワース邸
土地をかなりスタディしていて、水が張ってくると、白い船のようになるそうです。
雪のファンズワースもいい、と後藤先生はおっしゃっていました。
木の位置が計算されつくされていて、近景と遠景のパースがすごい構図が取れています。
ラーメン構造ではなく、H構を外に出し片持ちになっています。
地面と柱の接地部分は、スチールが錆びないよう普通は浮かせるが、ミースは、ずっと伸びているかのように錯覚させるように設計しているそうです。このようなディテールの処理が、less is moreにつながるのだと思いました。
ミースは空間を作るというよりは、時間をデザインしていた。
ミースの初期の作品は、順路をつくりシークエンスを楽しませる、建物を経験させる順路のデザインをしていました。
バルセロナパビリオン
パウル・クレーの作品
ある時期、ミースはクレーの作品を研究し、二次元の画面に時間を圧縮する方法として、目で線を追わせることにより時間を発生させることに気づく。それを境にして、パースと時間を共存させたユニバーサル・スペースのデザインに設計を変えていったそうです。
クラウンホール・・・空間の内部に梁が出ないようにしています。
ナショナル・ギャラリー・・ジャッキで屋根を持ち上げ、柱を後で入れたそうです。
ミースのプレゼンボード、パースに彫刻や絵画がコラージュされています。
それにより、パースに時間が共存している空間を提案しています。
モンタージュ・・複数のコンテクストの異なるものをひとつの絵に表現しています。
キュビズム・・・様々な角度から、絵をひとつに納めています。
これらの芸術作品もミースの作品に影響を与えていたそうです。建築は文化の現れであるという事を再確認しました。私事になりますが、2年生のときミースの作品を研究して、それを反映し別荘を設計するという課題に取り組みました。そのとき、私は自由な壁によるシークエンスとユニバーサル・スペースが反映した建物を設計しました。今回講義を聞いて、ミースの時間の取り入れ方が、時間を経験させる(つまり引き延ばす)から、時間を圧縮するに変わっていったという認識がないまま、設計してしまっていた事に気づかされました。ミースの作品の経緯を踏まえた、建築の時間に関する講義はとてもわかりやすかったです。貴重なお話をどうもありがとうございました。
DATE : 2008年1月28日
レポート W-studio 阿部哲也
写真提供 後藤武
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後藤武
1965年 横浜に生まれる
1998年 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了
1998年 隈研吾建築都市設計事務所
2003年 一級建築士事務所UA共同設立、取締役
2004年 中部大学高等学術研究所助教授
2006年 後藤武建築設計事務所設立
現在 慶応義塾大学理工学部、横浜国立大学工学部、東京理科大学工学部非常勤講師
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以下学生のレポートです。
「建築とは」
05D7097 成毛香月
・ 建築を空間と考える事は多々あるが、後藤武先生は建築は時間の
芸術と考える
・ ミース・ファンデル・ローエは建築の余分なモノをそぎ落とすことに
よって、より豊かなモノを作った。
・ ユニバーサル・スペースの先駆者。
・ フレキシブで機能を代入可能なワンルームを作ったのがミース・ファ
ンデル・ローエ。
・ ファンズワース邸はワンルームという美しさを生み出した住宅。
・ イリノエ大学のクランホールやベルリンのナショナルギャラリーも良
い例
・ ファンズワース邸は、自然との相性が非常に良い。
雪のファンズワース邸、水との関係までが考えられたデザイン!?
・ ファンズワース邸の敷地にある木の配置はレイアウトを設計されてい
るかのよう。見る角度によって全く風景が違うように見える。円形や
クローズアップの景色。
・ 何でも利用できる箱を作りたい!!
・ エスター邸やランゲー邸はミース・ファンデル・ローエのドローウィ
ングがもとにされている。45度ずつずらして、ずらして、ずらして
視線が通るようになっている。
・ 順路、シークエンスを作って人を歩かせる。歩かせながら、叙々に全
体をわかってもらう。建物を経験させる順路の建築。時間をデザイン
している。
・ サヴォワ邸はシークエンスのデザインである。
映画のフィルムに見るような、水平連想の窓。
・ ミース・ファンデル・ローエ⇔コルビジェ
・ バロセロナパビリオンはずらしたところに動線が作られている
・ 時間を編集したい。写真...空間でやりたい
・ 1つの空間に入っていないモノを入れていきたい。
時間をどんどん圧縮して、同時に時間を何でも当てはまる普遍的な
モノへ。
・ ハット邸は、インターンガーデン(緑いっぱいの温室)が部屋の壁に
映る。壁には死んだ植物がある。生きている植物と死んだ植物が空間
を作る。複数のモノを合わせうつして、時間を感じさせる空間を作っ
ている。
今回、後藤武先生に「建築に時間」という題でお話をしていただいた。
はじめに後藤武先生がおっしゃっていたように、「一般てき、日本では建築は空間を作っている」ということは、漠然とわかる。何もないところ、例えば草原や砂漠に何かを作るだけで、今までになかった空間が生まれる。空間の定義も様々あって難しい。辞書によると『①物体が存在しないで空いている所。また、あらゆる方向への広がり。「―を利用する」「宇宙―」「生活―」②哲学で、時間とともにあらゆる事象の根本的な存在形式。それ自体は全方向への無限の延長として表象される。→時間③数学で、理論で考える前提としての一つの定まった集合。その要素(元)を点とよぶ。普通は三次元のユークリッド空間をいう。④物理学で、物体が存在し、現象の起こる場所。古典物理学では三次元のユークリッド空間をさしたが、相対性理論により空間と時間との不可分な相関性が知られてからは四次元のリーマン空間も導入された。』と定義されている。私は課題を与えられた時、その場所で気持ちのいい空間とはどのようなモノかを考えて課題に取り組んでいる。空間という定義は自分の中で、まだ噛み砕ききっていないが、漠然ととらえながら考えてきていた。
ただ今回は「建築は時間」という、今まで考えたことのないことについて考えさせられた。私には、なかなか理解できないすごい世界に感じた。建築で時間を感じさせるということはどのようなことなのか、未だにわからない。難しい。
時間を感じさせる建築の例として、トゥーゲンハット邸は比較的わかりやすかった。トゥーゲンハット邸の仕切りの壁にはレモンや黒檀などの高級木材の薄板が張られていた。そしてそこの壁には、温室にある植物が移っていた。これが建築で時間を現した空間らしい。死んだ植物と今生きている植物を重ねあわせる事によって、時間を感じさせる建築を作っていた。なぜか、その写真に魅力を感じた。
まだまだ勉強不足で理解できない事は多々あるが、今回感じたのは、何かを訴えかけている建築は、みんなに魅力を感じさせるモノになるように感じた。また、その訴えが簡単にわからないほど、より魅力を持つ建築になるのかもしれない。
「実と虚」
05D7135 吉田敦
建築の時間。建築にはその内部を体験する時間がある。今回の後藤先生の講演はその建築の時間についての講演であった。
二十世紀、モダニズム建築の巨匠ミースファンデルローエは less is more universal space を提唱した人である。ミースの作品、クラウンホールやナショナルギャラリーに見られるユニバーサルスペースとは一般解釈として、一つの大空間を可動間仕切りなどでフレキシブルに使うことが出来る空間の事である。辞書的な意味ではユニバーサルスペースとは普遍的な空間。と題される。しかしuniversalの本来持つ意味、それは 偏在する、あちこちにある といった感じである。この本当のユニバーサルな空間をミースは提案している。というのが今回の講演であった。
ミースの代表作であるファンズワース邸は1947年に建てられた有名な建築である。
クライアントに頼まれて作られたこの家は多くのもめ事をかかえ一度もクライアントが住んでいない家らしい。大きな敷地に対してとても小さく作られ、たった一つの住居の箱が置かれただけの建築である。その小さな建物は大きな豊かな自然環境のなかに建ち、シンプルに構成された内部空間には隠されたいくつかの意図があるという。
四面全てを囲む大きなガラス窓は周囲の自然環境を豊かに内部にとり込むと共に、夫々の場所から見える風景は意図されてように表情をかえる。近くには小さな河川が流れ、年に何度かこの川が反乱する時にはこの家は水上に浮かぶ船のようになる。雪が降れば白の中にぽつんとこの建物が姿をみせる。このようにこの建物は自然計画が豊かに取り込まれた建物である。
これらのガラス窓越しに見えるそれぞれ違った風景とは何なのか。
ミースがユニバーサルスペースを提唱していた時代、ミースは好んでパウルクレーの画を集めていたという。画という一瞬で全体を把握出来るものの中に様々な重なりが表現された作風をこのパウルクレーはもっていた。その画を好んで集めていたミースの作品にはその重なり、つまりモンタージュが強く反映されていた。初期のミースの作品であるエスターランゲ邸のスケッチからはユニバーサルスペースからはほど遠い感覚を覚える。白いキャンバスの橋から長い壁が中心へ向かって延び、中心周辺には幾つかの壁が立ち並ぶ。その壁の端と端には45度の角度の幾つかの補助線を引くことが出来る。
この頃のミース作品には明らかにシークエンスを重視したスケッチが残っているのだ。
ではこのシークエンスを重視して建築内部を循環させようとしていたミースがユニバーサルスペースにどう繋がっていったのだろうか 。
ここで建築の時間というものが出てくる。ミースは建築を体験する時間をどんどん短縮しようとしていったのだ。
バルセロナパビリオン、これもミースの代表作であるが、この内部に置かれた中には時間短縮の思考が見える。一枚の大きなガラスには周囲の風景が映り込み、そのガラスの奥に見える実の物が重なり合って見えてくる。実と虚のコラージュが意図されたようにも見える。事実ミースの作品のいくつかにこのような場面がある。
建築を時間を追って巡らせようとしていたミースの思考は、序所に時間の短縮を行い、一度に複数のものを経験させる、それが一つの空間の中に全ての空間を体験させるといったユニバーサルスペースをつくりだしたのである。ミースが好んだパウルクレーの画のような空間をミースは作り出そうとしていたのではないか。
実と虚。私は絵画についてあまりよくわからないが、絵画は全ての物が人に描かれた実である。絵の具だったり、ペンのラインであったり。しかし、その実の中に虚の世界を描くことが出来るのが画である。それに対し建築は実の空間は全て実である、虚をつくることは出来ない、そこに存在する物は全てが実である。
そこにミースが提案するユニバーサルスペースの本当の狙いがあるのでは無いかと私は思った。あちこちにある、というユニバーサルの本来の意味。一瞬でそこにある全ての物を把握できる画に対して建築という物は、時間を経過して、序所に空間を把握していく。その時間を短縮していく事によってミースは実だけで構成される建築という存在の中に虚を創り出そうとしたのでは無いか。
今回の講演はいつもになく抽象的なものであった。しかし、建築という物を本質的な面で見る面白さと違って、抽象的に建築を見ると建築の奥深さが出てくる気がした。
by a-forum-hosei
| 2008-01-29 08:52
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