2008年 01月 19日
第9回目 佐藤健司氏 |
「小住宅の設計を通して考えること」
今回は佐藤先生が独立後に設計したいくつかの建築について説明していただきました。
1.世田谷の家
都会の住宅は閉鎖的にならざるを得ないが、その中でできるだけ開放的に感じられるような空間をつくろうとしたとおっしゃっていました。
地下はコンクリート等で重い感じにして、上に上がると白い軽やかな空間が広がっています。また、屋根と壁は同じ素材でできています。
2.大田区の家
この住宅も世田谷の住宅と同様に外観は2色で構成されていて、内部は白い空間となっています。また、都市の中で開放的な空間をつくるという点が共通して感じられます。
この住宅で特に強調しておっしゃっていたことは、住宅といえども大空間をつくりたいということです。外観からは2つのものがくっついているように見えますが、それとは対照的に内部は白で統一されたひとつの大きな空間となっています。
3.世田谷の建売住宅
これは4件の建売住宅なのですが、それを集合住宅のようなかたちでつくり、ミニ開発のような公共性を考えられています。上には黄色いオブジェがのっかっているような雰囲気です。
この住宅も内部は白い壁、白い天井からなっており、基本的には美術館のような部屋をつくっているとおっしゃっていました。
4.中野本町の集合住宅
この集合住宅はバルコニーを共通要素として用いられています。
この建築も外観は2色で構成されています。
5.品川区の家
この住宅は狭小住宅です。廊下を階段とすることで効率がよくなっています。
6.田園調布の家
品川区の家に続いて、床が黒、壁が白の内部構成です。
奥さんがお茶をするということで、茶室をつくりにじり口が設けられています。
7.那須の別荘
この建築について佐藤先生に説明していただいたことは敷地の傾斜を利用して、敷地の下がっている方にデッキスペースを設け、清水の舞台のような感じにつくっているということがまずあります。また、リビング・ダイニングでは大きな空間をつくり、度肝を抜かせたいともおっしゃっていました。あとは、光の入り方を不均一にしてドラマティックな空間を演出できるのではないかということです。
最後に、佐藤先生が設計してきた住宅は赤や黄などの色が外壁に用いられていることに対しては、特に理由はないが、現在白い住宅が多くつくられており、その白い箱に対するアンチテーゼかなとおっしゃっていました。
自分自身「色」というものが好きで、白い箱のような建築はどうなのかなと感じるときはあります。「色」を使うというのは難しいことだけれども、使い方によっては生活を豊かにするものであると思うので、内側外側共にうまく「色」がつかえるようになれればなと感じました。
レポート: W-studio H.Y
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佐藤 健司 (さとう けんじ)
1958年 埼玉県大宮市生まれ
東京大学大学院卒業(槇研究室)
メルボルン大学留学
1984年 磯崎新アトリエ
2001年~ 佐藤健司建築都市研究所
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以下、学生のレポートです。
「拘束からの解放」
05d7018 上野宏岳
住宅設計をするにあたって設計者は様々な拘束を受ける。今回の佐藤さんの講演を聞いて、そのような拘束から解放された自由な空間的魅力を感じた。
住宅の設計は依頼者との対話から始まる。まだこの世界に実現していない空間についての対話であるから、それは依頼者と設計者のイメージ交換である。住宅とは住まい手の私的な領域に属する物で、その人の空間に対する経験の量で設計者側が得られる情報の密度は左右される。依頼者の世界の広がりの中だけから建築を組み立てることは建築の可能性を狭めることになるのだが、設計者だけで一方的に空間を決定できる物ではない。しかし、空間に関しての表現の手段を持っていない依頼者と空間の概念を交換するのは困難である。また、いずれにせよ依頼者と設計者の交換は空間をあらわす言語によって伝達されるため、空間が実現する以前に空間を語る言語によって建築は拘束されている。依頼者が自らのイメージ通りの空間が達成できたとしても、それは私たち日本人が語る言語世界で拘束された空間が現れているだけである。住居はその人の世界に既に存在している習慣的コードとしての住居形式からの拘束と、私たちが使う空間を現す言葉からの二重の拘束を受けている。佐藤さんの講演での空間を語る言語表現にはその二重の拘束から解放された様な印象を受けた。住宅に美術館の空間を求める佐藤さんの考えは、天井が白く壁も白で、住居空間に大きな広がりを求め、おどろきなどの感覚的な要素も重要視している。住宅に美術館的な空間すなわち展示的な要素を取り入れることでそこに人の生活単位としてのインテリアがはいったときそれは映える。白い空間にある居住者の赤いいす、黒い机、様々な本が並ぶ本棚、緑色の絨毯などのインテリアは、私たちが使う空間を現す言葉からの拘束を超え、視覚的に生活感を訴えるものとしてそこに存在するようになるだろう。また、インテリアが映えるということはその居住者つまり依頼者の生活が映えるということにつながり、その私的な領域にも影響を及ぼすことになる。展示空間としての要素を含んだ空間に依頼者のインテリアが介入したとき、依頼者も予期しなかった様な生活の魅力が生まれ、それは習慣的な居住形式からの拘束からも解放されたことを意味しているのではないだろうか。
人の住まう場に、こうでなくてはならない、といった決まりはない。また、人の住まいに最良の解は存在しない。しかしそこには拘束がある。そうであるが故に住宅の設計は難しいのではないだろうか。佐藤さんはその拘束自体を解決しているわけではないが、そこから解放された考えを持つことで拘束を超越し、人の住まう場として佐藤さんなりの最良の解を導きだしている様な気がした。それは今後僕らが失っていくと思われるより感覚的な部分に属しているように思える。今回の講演は僕にそういう部分をもっと大切にしていかなくてはと思わせてくれた。
「狭小住宅と空間のコントラスト」
05d7020 氏家 健太郎
僕が一番印象的だったのは最後の質疑応答のところで「狭小住宅?避けている部分は何もないよ」という言葉だった。もちろん狭小、名のごとく非常に限られた条件化の狭い空間に無駄な空間を作り上げるという行為はできないし、斜辺制限いっぱいに形態を決めたり、隙間を極力利用できるようにしたり、結果的にいろいろなことを必要最小限に抑え、どんなに小さなことでも住む人に利用してもらえるようにしなければならないことがあると思う。
佐藤先生は磯崎新アトリエで「磯崎さんは巨大スケールのものを、博覧会の延長のごとく作り上げている。そこで確かにスケールの大きさというのは単純にインパクトやド肝といったキーワードにつながるかもしれない」というようなことを学び、住空間にもそういった巨大なスケールの空間を一箇所置くようにしている、とおっしゃっていた。そこで感じたのが、単に物理的に巨大な空間だけでなく、日本の伝統である茶室のような ―細い廊下を通って、狭いくぐり戸を経験することでそれほど広い空間ではない茶室が相対的に広く感じることができる― イメージだ。
実際に先生は例えば廊下を階段にするスキップフロアにしたり、看板建築の中に、非常用で入り口のバルコニーを設けたり、地下と玄関は閉鎖的に、ほかの生活空間は開放的にすることによる空間のコントラストを巧く利用して、広さを感じることのできる内部空間を作り出しているように思えた。茶室の例を出したように、そういった小さなものや、細いもの、狭いものに価値を与え有効利用する姿勢は日本の伝統的な建築に見習うことが出来るのではないかと感じた。
そういった人に与える心理的作用するものに、外観という要素も含まれていると思う。世田谷区の住宅ではファサードを閉鎖的なものにして、生活空間を軽いイメージにすることによって、よりその視覚的効果を挙げているようにも思える。そういったことを考慮すると、ホワイトキューブに対するアンチテーゼ、隣の家と同じような家はイヤといったような住宅と都市の概観のあり方もこれから考えていかなければならないなと感じた。
「制約の中でできること」
05d7117 町田芽久実
今回は狭小住宅や建売住宅を中心に活躍している佐藤さんの講演であった。
都心の狭小住宅も建売住宅も作るうえでかなり制約が多いものだと思う。講演の中でも、容積率いっぱいに建てようとすると形が決まってしまう、プライバシーのために住宅はなるべく閉じていなければならない、容積率を減らすための工夫、例えば容積率に含まれないよう2階の中庭部分の床は水が下に落ちるようにするなど作る上での苦労している部分を話してくださった。特に印象的だったのは荒木邸の話で、普通スキップフロアというとなんらかの意図を持って使われるように思えるが、この住宅の場合あまりにも狭小であったため廊下と階段の場所が十分に確保できないのでやむなくスキップフロアの形をとることになったということであった。それでも佐藤さんは作る過程の苦労を苦労と思ってないようですごいと思った。
佐藤さんはどんなに条件が厳しい住宅でも必ずドラマチックな空間を作ることを信条にしているとおっしゃっていた。そのために一番意識していることがいかにして大空間を作るかということであった。全体が小さい住宅だからこそ、その中での大空間は逆にその他の小さい空間を生かすことに繋がるのだという話に非常に納得した。また、住宅の内部は、住み手にとってインテリアの背景となるものだからできるだけ美術館の内部のようにシンプルにすること、そしてそのシンプルな空間を光の操作によっていかに変化をつけるかなど、制約が多い中で自分の信条をどのように貫くかというしっかりしたスタンスを持っていて、それがかっこいいと感じた。
講演の中で佐藤さんは狭小住宅、建売住宅それぞれの制約を語りつつ、いかにしてそれを克服するかを楽しそうに話してくださった。狭小住宅は小さいがそれを逆手にとってどのように工夫するかを考える、建売住宅は住み手が決まっていない分、一般に受け入れられるものを作らなければならないが、だからといってありふれたものを作るのではなく、戸建てにはない、建売という独自のスタイルを持つからこそ町並みに対して公共性を持つべきだとおっしゃっていた。制約を不利なものと捕らえるのではなく逆にいいものとして捕らえる―そんな前向きな姿勢を見習いたいと思った。
by a-forum-hosei
| 2008-01-19 01:01
| 2007