2007年 12月 30日
第5回目 安田雅子氏 |
タイトル
「世界に通用する建築家になるために」
~建築家を目指す学生のためのキャリア形式ガイダンス~
当初予定していた寺本晰子氏が来られなかった為、当日は安田雅子氏の講演となりました。
講演の中では、現代の建築業界の問題点や世界と日本の業界、教育の違いが言われました。
日本は世界に比べて建築家の数が多いこと。日本は国際コンペがやりにくい環境であること。日本の建築の教育は世界に比べて構造に比重が重いこと。世界の建築の教育は日本よりもデザインに比重が重いこと。など。
建築の業務についてのスライドです。
『建築』とはどのようなことにプロフェッショナルでなくてはいけないのか?どのようなことに専門的に、コンサルタントしなくてはいけないのか。
写真中央、安藤忠雄氏
日本と世界のつながり。建築の違いについてお話して頂きました。
海外と日本の建築における大きな違いとして国際コンペが挙がっていました。
知ってのとおり、日本で国際コンペによって建てられた建物は国際フォーラムのみである。
その理由として日本は、国際コンペが会計法などの規制により行われにくい環境であることがある。
国際フォーラムの国際コンペは東京都が主催して行われたが、そのとき東京都が生真面目に国際コンペの規定を守ったので前例主義が基本の日本においてハードルが高く設定されてしまい、その後に続いて行われることがないのだという。
東京国際フォーラム(とうきょうこくさいフォーラム)は、株式会社東京国際フォーラム(完成当時は財団法人東京国際交流財団)が運営する、公的総合文化施設。首都たる東京の国際会議場の一つにもなっている。東京都庁舎の新宿副都心移転跡地に建設された(第3庁舎部分は、豊田通商丸の内ビルになっている)。最寄り駅は有楽町駅、東京駅(京葉線・武蔵野線)。7つのホール、展示ホール、33の会議室、店、レストラン、相田みつを美術館、太田道灌の像などを備えており、様々なイベントや展示が開催される。
設計者: ラファエル・ヴィニオリ(Rafael Vinoly)
所在地: 東京都千代田区丸の内三丁目5番1号
開館年: 1997年1月10日
階数: 地上11階、地下3階
建築面積: 21,000m²
延床面積: 145,000m²
敷地面積: 27,000m²
階数: 地上11階、地下3階
総工費: 1,647億円(用地費は除く)
以下授業風景。
学生達が建築士という資格に対してや、二級建築士の改正についてなど様々な質問をしていました。
以下、学生提出レポートです。
05d7038 金谷 匡高
現代社会で今、資格は切っても切れない関係にある。今では一家に一台となってしまった自動車、それを運転するための資格「運転免許」。これでまず、一家に一人資格を持った人がいるわけだ。一家を4人と考えると、人口の4分の1である。運転免許を所有しているのは夫で、妻は介護の仕事をし介護福祉士の免許を所有している。娘は中学生で英検2級の資格を持っている。小学生の息子は、まだ資格を持っていない。だが、気象予報士の最年少合格を目指して勉強している。また、考えてみれば学生というのも学生という資格を持ち、学生証はその資格を証明するためのものではないか。このような家族構成であるとして、日本では人口の4分の3は資格を持っていることになる。約9600万人だ。
そんな中、事件は起こる。教員の不祥事、世間知らずの裁判官、耐震偽装の建築士、賞味期限切れ材料の再利用。それどころか、医者や国会議員、公務員、国を動かしている大事な機関にまで腐食は広がっている。すべてにおいて資格が絡んでいる。
今回の講演で、安田氏は、
「資格とは非資格者から消費者を守りプロのサービスを提供するためにある。」
と、いうことをおっしゃられた。しかし今は、資格者が腐敗している時代だ。その原因は、今は資格という言葉が流用しすぎていて、資格の言葉の価値が薄れてしまったからではないか。今は、どんなことにも資格が付きまとう時代。だれでも、資格を持っている時代。
自分の持っている資格に自負心を持てない。
職業でそれを行う人をプロという。たとえば、音楽家のプロというと、それは演奏をしてお金をもらう人ということなのだが。今のテレビやインターネットが普及した世の中では、どんな音楽をやろうがお金をもらえる時代になった。それは、かつての名曲と呼ばれる曲を違う歌詞にのせて歌ったものや、少し音程やテンポをずらしたものを自分のオリジナルとして出して金をもらえるようになったということでもある。こんなことを言った人がいる。「今の音楽に個性はない。彼らはただ、ガムのおいしいところだけを噛んで捨てる、そして次のガムを噛む。」と。今や個性はなくなり、言葉も音も切り張りで曲を作ってしまう。つまり、曲に対して思想がなくなったのだ。
しかし、歌い演奏しお金をもらう者を皆プロと呼ぶ。そう、すべての言葉の持つ意味が薄れてしまって消えそうなのだ。
職人という人がいる。彼らはエゴイストな面も持っている。しかし、職人というのは自分の技術に誇りを持っている。幸田露伴の作品に「五重塔」という本がある。この本の主人公は周囲の人間からのっそりと軽蔑的に扱われているが、金銭欲を持たず貧しさに耐え実入りの少ない仕事でも手を抜かない人間である。そして主人公がいかにして棟梁になるのか、五重塔を建て世に認められる過程で生じる問題にどう対処していくのか、その時にどういう感情を持つのかに、日本的精神の特徴が描かれている。
彼は板一枚、釘一本にまで命を掛ける。職人の心というのはお金ではなくて、自信やプライド、経験から生まれている。一方、プロはお金のためにという意味合いが含まれていると思う。英語というのは日本語と違い広い意味を持つことができる。だから、怖い。
資格を持つことで、思想も持たなくてはいけない。しかし、言葉の意味が薄らいでしまっている今、資格の存在自体が危ういのではないか。資格を持つことよりも職人の心を持つことが重要で、儲けることなんてのは二の次でいい。でなければ、昔のように資格がない時代に戻してしまい、もう一度資格という意味を問い直してはどうか。
g05d7117 町田 芽久実
講演のポイント
・日本は世界に比べて建築家の数が多い。
・(建築家の範囲をどこまで広げるかによって変わる)
・日本は国際コンペがやりにくい環境である。
・日本の建築の教育は世界に比べて構造に比重が重い。
・世界の建築の教育は日本よりもデザインに比重が重い。
講演における賛成点
・日本の建築教育は世界に比べて構造の面は充実しているが、デザインの面で劣っていてそれは改善すべき点であるということ。
・日本のデザインと外国のデザインの考え方の差異は大きな影響を及ぼすおそれがあるということ。
講演における疑問点
建築基準法改正に伴い試験が変わるということで、私たちが旧基準から新基準の移行期間に当てはまるがそれに関しては配慮されるとおっしゃっていたが、ストレート(卒業してすぐに試験を受けて合格)にうまくいかず、移行期間が過ぎてしまうということはないのだろうか。
「今回は世界に通用する建築家になるために」 というテーマで安田さんはお話してくださった。普段あまり知ることができない世界と日本の建築の環境の違いを教えてもらえる貴重な機会であった。
日本では工学部に建築学科があることが大半であるが、世界では美術系の学部に属すことがほとんどであるという。これは日本が地震大国なので他国に比べて構造に力が入っているからである。しかし、世界建築家協定UIAが定めているデザインに関する教育水準(前授業の半分をデザイン分野に当てはめること)に問題ありとなっていたのは深刻に受け止めるべき話じゃないのかと思った。外国でいうデザインはマネジメント、コンサルティングまで含めているという。海外と比較して日本は建築家の人口が突出しているが、それは建築に携わる人のどこまでを範囲として換算するかによって変わると安田さんはおっしゃっていた。日本の建築関係の仕事をしている人は細かい分野に分かれているのでどこまで換算するかによって大きく数が変わるという。日本では構造や意匠など各々を専門の分野として特化していく傾向がある。これはもしかしたら建築を総合的に考えることのできる人がいなくなってしまう事態を引き起こすかもしれない。このようにデザインに関する教育の姿勢が海外と違うのは、単に意匠のレベルが下がるという問題だけでなく、日本で建築の要素が細分化していることに対しての警告にもなっているのではないかと思う。
もうひとつ、海外と日本の建築における大きな違いとして国際コンペが挙がっていた。日本は、国際コンペが会計法などの規制により行われにくい環境だという。日本で国際コンペによって建てられた建物は国際フォーラムのみであるという。国際フォーラムの国際コンペは東京都が主催して行われたが、そのとき東京都が生真面目に国際コンペの規定を守ったので前例主義が基本の日本においてハードルが高く設定されてしまい、その後に続いて行われることがないのだという。日本人固有の生真面目さと前例主義が仇となってしまっている。日本の美徳である生真面目という特徴がこのような事態を引き起こしているのはとても残念なことだ。
構造に比重をおきデザイン分野の授業が他国に劣っているのも、国際コンペが日本で行われにくいのも日本独特の原因に基づくものである。しかし、環境や国民性が他の国とは違うという理由だけでこの問題を放置しておいてはいけない。日本では独自に構造の分野が発達するなどいい点もある。そのいい点を伸ばしつつ、海外に引けをとらない環境が作られていってほしい。
以上です。
作成者:塩島康弘
「世界に通用する建築家になるために」
~建築家を目指す学生のためのキャリア形式ガイダンス~
当初予定していた寺本晰子氏が来られなかった為、当日は安田雅子氏の講演となりました。
講演の中では、現代の建築業界の問題点や世界と日本の業界、教育の違いが言われました。
日本は世界に比べて建築家の数が多いこと。日本は国際コンペがやりにくい環境であること。日本の建築の教育は世界に比べて構造に比重が重いこと。世界の建築の教育は日本よりもデザインに比重が重いこと。など。
建築の業務についてのスライドです。
『建築』とはどのようなことにプロフェッショナルでなくてはいけないのか?どのようなことに専門的に、コンサルタントしなくてはいけないのか。
写真中央、安藤忠雄氏
日本と世界のつながり。建築の違いについてお話して頂きました。
海外と日本の建築における大きな違いとして国際コンペが挙がっていました。
知ってのとおり、日本で国際コンペによって建てられた建物は国際フォーラムのみである。
その理由として日本は、国際コンペが会計法などの規制により行われにくい環境であることがある。
国際フォーラムの国際コンペは東京都が主催して行われたが、そのとき東京都が生真面目に国際コンペの規定を守ったので前例主義が基本の日本においてハードルが高く設定されてしまい、その後に続いて行われることがないのだという。
東京国際フォーラム(とうきょうこくさいフォーラム)は、株式会社東京国際フォーラム(完成当時は財団法人東京国際交流財団)が運営する、公的総合文化施設。首都たる東京の国際会議場の一つにもなっている。東京都庁舎の新宿副都心移転跡地に建設された(第3庁舎部分は、豊田通商丸の内ビルになっている)。最寄り駅は有楽町駅、東京駅(京葉線・武蔵野線)。7つのホール、展示ホール、33の会議室、店、レストラン、相田みつを美術館、太田道灌の像などを備えており、様々なイベントや展示が開催される。
設計者: ラファエル・ヴィニオリ(Rafael Vinoly)
所在地: 東京都千代田区丸の内三丁目5番1号
開館年: 1997年1月10日
階数: 地上11階、地下3階
建築面積: 21,000m²
延床面積: 145,000m²
敷地面積: 27,000m²
階数: 地上11階、地下3階
総工費: 1,647億円(用地費は除く)
以下授業風景。
学生達が建築士という資格に対してや、二級建築士の改正についてなど様々な質問をしていました。
以下、学生提出レポートです。
05d7038 金谷 匡高
現代社会で今、資格は切っても切れない関係にある。今では一家に一台となってしまった自動車、それを運転するための資格「運転免許」。これでまず、一家に一人資格を持った人がいるわけだ。一家を4人と考えると、人口の4分の1である。運転免許を所有しているのは夫で、妻は介護の仕事をし介護福祉士の免許を所有している。娘は中学生で英検2級の資格を持っている。小学生の息子は、まだ資格を持っていない。だが、気象予報士の最年少合格を目指して勉強している。また、考えてみれば学生というのも学生という資格を持ち、学生証はその資格を証明するためのものではないか。このような家族構成であるとして、日本では人口の4分の3は資格を持っていることになる。約9600万人だ。
そんな中、事件は起こる。教員の不祥事、世間知らずの裁判官、耐震偽装の建築士、賞味期限切れ材料の再利用。それどころか、医者や国会議員、公務員、国を動かしている大事な機関にまで腐食は広がっている。すべてにおいて資格が絡んでいる。
今回の講演で、安田氏は、
「資格とは非資格者から消費者を守りプロのサービスを提供するためにある。」
と、いうことをおっしゃられた。しかし今は、資格者が腐敗している時代だ。その原因は、今は資格という言葉が流用しすぎていて、資格の言葉の価値が薄れてしまったからではないか。今は、どんなことにも資格が付きまとう時代。だれでも、資格を持っている時代。
自分の持っている資格に自負心を持てない。
職業でそれを行う人をプロという。たとえば、音楽家のプロというと、それは演奏をしてお金をもらう人ということなのだが。今のテレビやインターネットが普及した世の中では、どんな音楽をやろうがお金をもらえる時代になった。それは、かつての名曲と呼ばれる曲を違う歌詞にのせて歌ったものや、少し音程やテンポをずらしたものを自分のオリジナルとして出して金をもらえるようになったということでもある。こんなことを言った人がいる。「今の音楽に個性はない。彼らはただ、ガムのおいしいところだけを噛んで捨てる、そして次のガムを噛む。」と。今や個性はなくなり、言葉も音も切り張りで曲を作ってしまう。つまり、曲に対して思想がなくなったのだ。
しかし、歌い演奏しお金をもらう者を皆プロと呼ぶ。そう、すべての言葉の持つ意味が薄れてしまって消えそうなのだ。
職人という人がいる。彼らはエゴイストな面も持っている。しかし、職人というのは自分の技術に誇りを持っている。幸田露伴の作品に「五重塔」という本がある。この本の主人公は周囲の人間からのっそりと軽蔑的に扱われているが、金銭欲を持たず貧しさに耐え実入りの少ない仕事でも手を抜かない人間である。そして主人公がいかにして棟梁になるのか、五重塔を建て世に認められる過程で生じる問題にどう対処していくのか、その時にどういう感情を持つのかに、日本的精神の特徴が描かれている。
彼は板一枚、釘一本にまで命を掛ける。職人の心というのはお金ではなくて、自信やプライド、経験から生まれている。一方、プロはお金のためにという意味合いが含まれていると思う。英語というのは日本語と違い広い意味を持つことができる。だから、怖い。
資格を持つことで、思想も持たなくてはいけない。しかし、言葉の意味が薄らいでしまっている今、資格の存在自体が危ういのではないか。資格を持つことよりも職人の心を持つことが重要で、儲けることなんてのは二の次でいい。でなければ、昔のように資格がない時代に戻してしまい、もう一度資格という意味を問い直してはどうか。
g05d7117 町田 芽久実
講演のポイント
・日本は世界に比べて建築家の数が多い。
・(建築家の範囲をどこまで広げるかによって変わる)
・日本は国際コンペがやりにくい環境である。
・日本の建築の教育は世界に比べて構造に比重が重い。
・世界の建築の教育は日本よりもデザインに比重が重い。
講演における賛成点
・日本の建築教育は世界に比べて構造の面は充実しているが、デザインの面で劣っていてそれは改善すべき点であるということ。
・日本のデザインと外国のデザインの考え方の差異は大きな影響を及ぼすおそれがあるということ。
講演における疑問点
建築基準法改正に伴い試験が変わるということで、私たちが旧基準から新基準の移行期間に当てはまるがそれに関しては配慮されるとおっしゃっていたが、ストレート(卒業してすぐに試験を受けて合格)にうまくいかず、移行期間が過ぎてしまうということはないのだろうか。
「今回は世界に通用する建築家になるために」 というテーマで安田さんはお話してくださった。普段あまり知ることができない世界と日本の建築の環境の違いを教えてもらえる貴重な機会であった。
日本では工学部に建築学科があることが大半であるが、世界では美術系の学部に属すことがほとんどであるという。これは日本が地震大国なので他国に比べて構造に力が入っているからである。しかし、世界建築家協定UIAが定めているデザインに関する教育水準(前授業の半分をデザイン分野に当てはめること)に問題ありとなっていたのは深刻に受け止めるべき話じゃないのかと思った。外国でいうデザインはマネジメント、コンサルティングまで含めているという。海外と比較して日本は建築家の人口が突出しているが、それは建築に携わる人のどこまでを範囲として換算するかによって変わると安田さんはおっしゃっていた。日本の建築関係の仕事をしている人は細かい分野に分かれているのでどこまで換算するかによって大きく数が変わるという。日本では構造や意匠など各々を専門の分野として特化していく傾向がある。これはもしかしたら建築を総合的に考えることのできる人がいなくなってしまう事態を引き起こすかもしれない。このようにデザインに関する教育の姿勢が海外と違うのは、単に意匠のレベルが下がるという問題だけでなく、日本で建築の要素が細分化していることに対しての警告にもなっているのではないかと思う。
もうひとつ、海外と日本の建築における大きな違いとして国際コンペが挙がっていた。日本は、国際コンペが会計法などの規制により行われにくい環境だという。日本で国際コンペによって建てられた建物は国際フォーラムのみであるという。国際フォーラムの国際コンペは東京都が主催して行われたが、そのとき東京都が生真面目に国際コンペの規定を守ったので前例主義が基本の日本においてハードルが高く設定されてしまい、その後に続いて行われることがないのだという。日本人固有の生真面目さと前例主義が仇となってしまっている。日本の美徳である生真面目という特徴がこのような事態を引き起こしているのはとても残念なことだ。
構造に比重をおきデザイン分野の授業が他国に劣っているのも、国際コンペが日本で行われにくいのも日本独特の原因に基づくものである。しかし、環境や国民性が他の国とは違うという理由だけでこの問題を放置しておいてはいけない。日本では独自に構造の分野が発達するなどいい点もある。そのいい点を伸ばしつつ、海外に引けをとらない環境が作られていってほしい。
以上です。
作成者:塩島康弘
by a-forum-hosei
| 2007-12-30 16:25
| 2007