2007年 11月 05日
「Image & Reality−力・形・素材−」 |
第3回の法政大学建築学科・建築フォーラムは、新谷眞人先生に講演していただきました。
講演は、新谷先生の携わった建築を中心に、構造の説明と構造設計者の役割をお話していただきました。
■葛西臨海公園レストハウス 1994 谷口吉生
この建築は、とても透明感の高いところがデザイン的な特徴ですが、サッシの枠が構造となっています。ここでの構造とデザインとの間の問題点が、この立面の透明性を保ちながらコンクリートとマリオンの間の変形を防ぐ構造を考えることで、水平ブレースを入れることで解決したそうです。水平ブレースにすることで、マリオンと同化して見えます。
■TOD'S表参道 2004 伊東豊雄
表参道の並木のイメージをそのままデザインにしたこの建築は、構造もこの並木のように重なり合った木の模様になっていますが、ここでは、作り方と法律に対してが難しかったそうです。
構造解析の写真を使って説明していただきました。
この斜めのコンクリートを打つ際の施行写真もみせていただきました。
■Ota House Museum 2004 CAT 小嶋一浩
太田市ののどかな田園風景の中に佇む個人美術館付住宅です。
RCの箱からラーチ合板でできている箱が飛び出して来ているような形をしています。初めの小嶋氏のイメージでは、1階を鉄骨造に、3階部分をRCにし、それだと成り立たないということで今の姿になって完成されたそうです。
■様々なデザインの階段
これらの階段は、デザインだけでは成立しません、新谷先生は構造の面から細やかに実現させています。
その他、施行中のプロジェクトや、塩釜の美術館、福崎空中立体広場など最新のプロジェクトを中心にお話ししていただきましたが、新谷先生はどのプロジェクトでも構造設計を通して、建築ディティールの美しさをとても大切にしているのではないかと思いました。デザインがよりよくあるために、デザインだけではなし得ないこと、構造からさらなるよさを作り出せることを意識させられたような気がします。今回繊細な部分までわかりやすくご説明してくださり、いつも見ている視点とは違う面から建築を見ることができました。
レポート: W-studio 板橋祐子
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新谷眞人(構造デザイナー・オーク構造設計代表)
1969年 早稲田大学大学院理工学研究科建設工学建築構造専修課程修了。
同年、木村俊彦構造設計
1982年 (株)オーク設計事務所を設立。
1995年 (株)オーク構造設計を設立。
2006年 早稲田大学理工学学術院教授。
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以下、学生のレポートです。
「時代の最前線を歩く構造」
05d7026 大塚 千寛
今回の講演は構造設計者の新谷眞人さんだった。新谷さんの名前はトッズ表参道の構造を担当されていた事で知っていたので講演が楽しみだった。
講演は過去から現在進行中のプロジェクトの解説をメインに、構造設計というものについて、番外としてパミール高原を旅した話へと進んだ。講演の中で僕が学んだのは最先端というものに挑んでいくパワーだと思います。
新谷さんのプロジェクトではどの建築にも新たな試みがされていた。建築という大きな物を考えるとき、新しい試みを試す事のリスクは大きいと思う。そのために実験を繰り返し、構造として成り立つラインを見極めなければならない。それはとても大きなエネルギーが必要な事だ。でも、前例がない事をするという事の面白さ、それを実現させようというモチベーションによって新しい建築を作り上げる事ができる。新しい構造を考えるという点で特に印象に残っているのは、伊東豊雄さんと計画されたブルージュのパビリオンだ。ハニカム格子で建築を作ろうとした時、1/2モデルではぐにゃぐにゃに形が歪んでしまった。そこで応力図を展開して付加のかかる部分にパネルを挿入する事で解決しようとした。それと同時にゆがみの起こる原因の検証も行い、板の厚さによって起こる変形が原因ではないかと推測された。透明感を出したいがためにハニカムの径は大きく板の厚さは薄くしたいので、両者のバランスをとりながら最終的な形態が決まった。このプロジェクトにかかっている人々のエネルギーを感じる事ができる話だった。
何かに頑張っている人の話を見たり聞いたりすると、僕はいつも自分について考えさせられます。自分は頑張っていると言えるのだろうか?何かを自慢したり誇れるような事をしてきているだろうか?と。今回の新谷さんの講演でも普段の怠惰な自分を反省し、建築というものに全力で挑んでいく姿勢をもって頑張っていきたいと思いました。
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「表現と技術」
05D7029 大野麻衣
建築のデザインを決定づける大きな要素として構造などの力学的な側面は絶対に関係してくる。力学的構造的に成り立たないものは、建築としては存在しない。
自分の頭の中で思い描くものを世に送り出す、表現する、第三者に伝える手段としてのカテゴリーの中には、詩、小説、音楽、絵画、写真、ファッション、建築などがあると思う。
表現の自由度と、表現する際に生じる制限のようなものがあると思った。音楽で例えると前者は奏でられて聞こえてくるメロディーであり、後者はメロディーを奏でる際に必要な楽器などの道具やそれを使いこなす技術や性能であったりする。ファッションの世界であれば、前者はデザイナーの描くものや作りたい、着たいものであって、後者はその素材や縫製の仕方、技術、人が身に着けるものとしての様子であったりするのかもしれない。建築で言うとデザインと構造システムであると思う。
その自由度と制約の割合はさまざまであって、制約があるからといって悪いわけでは全くなくて、その制限があるからこそ出来ること、面白くなったりすることだってたくさんあるだろう。
また世の中がもっと便利になるようにとか、新しいことをして成功したいとか夢見ている人々においても関係していると思う。
その制限や限界を押し広げるもの、可能にするものが技術の向上や、開発であって、技術と共の発展は否めないものであることも強く感じた。
建築家が思い描くものは空間であり、それは人間的なスケールである。詩や小説のように一言、瞬間的に作り出せて消えていくものではない。必要な人手や道具、素材から規模が全く違うし、簡単に壊すことが可能で、なかったことに出来るものでもないと思う。それが大きな足枷でもあり、制約であるとも私は思う。
今回の講演で、それらの制約を押し広げているのが本当に構造デザイナーであることを実感できた。また制約や足枷を取り払うことに、魅力を感じて仕事をなさっている姿をとても羨ましく思った。
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「『Image&Reality -力・形・素材¬-』 新谷眞人 を聞いて」
g05d7117 町田芽久実
今回の講演では構造の面から見た建築を学んだが、新谷さんは「構造体でありながら構造体でない一面を持つ建築」について講演してくださった。実際に建築が成り立つ上で構造の問題は避けて通れないものである。しかし、建築に大きな制約をもたらす柱や壁などの構造体からの解放はこれまでにない新しい建築を実現可能にすることを示してくださった。
谷口吉生さんの「葛西臨海公園レストハウス」ではガラス面の大きい『 軽い建築』を実現するため、サッシの枠であるマリオンが構造体になっている。また、ブレスが熱膨張しないようにコンクリートに半分埋めるという話のときに、力を何でもかんでも受けるのではなく外に逃すことによって部材をコンパクトにすることが可能だということをおっしゃっていた。柱を太くすることによって解決できる問題であるが、そうすると『軽い建築』ではなくなってしまう。構造体だけで解決するのでなく、力の受け流しによってできるかぎり付加を小さくすることによって解決するということに、力そのものによって空間という問題を考えていらっしゃるのだと思った。
隈研吾さんの宝積寺駅にある作品「ちょっ蔵広場」では地元での名産品である大谷石を建築に使っている。柔らかく崩れやすい石の性質、石は法律上構造に使ってはいけないという問題を解決すべく、大谷石を組んでそれを鉄のフレームに嵌めるという解決策を採っている。石が構造体の一部でありながら、仕上げ材にもなっているという不思議な建物であった。この建築では石が法規上構造体として使えないので、鉄骨造となっているということであったが、建築は構造の他にも法律など、改めて制約の多いものなのだと感じた。
一番印象に残った作品は、隈研吾さんの「福崎空中立体広場」である。この作品では、オレンジのビニールカーテンを外装材にし、6mのスロープ部分に60mmごとにハニカムスラブを入れて、高さに対してスパン1/100とし美しいプロポーションを実現している。ここで新谷さんはプロポーションについての重要性を語っていたが、構造の問題をただ解決するのではなく、建築をより一層洗練されたものにしていこうという姿勢に構造設計者としての誇りを垣間見たような気がした。
最後に新谷さんは構造設計者の役割として『空間・形態』『力量学』『力の解読者』の3つを挙げていた。その中でも私は『力の解読者』という表現が印象深かった。ただ単に力の問題に解答を示すだけならば、それは単に「 解決」であって「解読」にはならないだろう。力の問題に解答を導いて終わらせるのではなく、解答の先に出来上がる空間というものを読んで、そこから問題を再考し、新たな解答の可能性を模索する。そこまでいって初めて「解読者」に成りえるのだろうと新谷さんの構造と空間への姿勢をみて思った。
by a-forum-hosei
| 2007-11-05 22:26
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