2007年 10月 15日
「ぼくが住まいを設計するときに考えていること」 |
第一回目となる法政大学建築学科・建築フォーラムは渡辺真理教授に講演していただきました。
講義の流れとしては、日本の住まいの問題点を挙げ、その上で住まいを設計するときに考えていることを説明し、後半はこれまで渡辺先生が関わられたプロジェクトを話していくというものでした。
日本の住まいの問題点
・住宅の貧困と都市景観の醜さ。
・総住宅戸数5400万戸に対し、総世帯数が4700万と住宅があまっている状況である。1世帯あたり1.14戸を持っていることになる。
・住宅に不満を持つ人は、40%から50%にものぼる。
・一人当たりの床面積の国際比。日本は36㎡。諸外国に劣る。
・ 非核家族(単身者、夫婦のみ、共働き)の増加。・・・など。
上記の点を挙げ、渡辺先生は「住まいを取りまく(現実)と戦うための手段としてぼくたちは(家族)を取り上げた。」と述べ、核家族から外れた非核家族(単身者、夫婦のみ、共働き)について講義していただきました。また「住まいを設計するときに考えていること」をキーワードに、岸和郎さんは「朝ごはんがおいしく食べられる住まいを作りたい」と考えているから始まり、長谷川逸子さん、ヨコミゾマコトさんなど、様々な建築家が様々なアプローチで設計を行っていることを紹介していただきました。
次に、「住まい」というテーマにより選ばれた具体的なプロジェクトを用いて講義していただきました。
●SN
主婦と犬二匹のための住宅で、ベッドを中心に生活空間をまとめ、動線を分散させないようになっています。季節によっても生活の範囲が異なるので、日の光や、気温を考慮して必要に応じて間仕切りにより空間を細分化できるそうです。ベッドを中心に配置計画されている点が、主婦一人という住まいの暮らし方をよく分析しているからできることだと思いました。
●IS
夫婦と子供のための住宅として、ランドリーシューターなどの工夫がなされています。また書棚という住まいの中でも非常に小さなスペースが居住者にとっては、生活に大きく影響をもたらすということも知りました。
また、視線の操作も住宅の形態に影響を及ぼし、スリットを通してリビングから二階の子供部屋の様子が見えたりするなど、家族のことを第一に考慮して建築が構成されているように思えました。
●NT
共働きの夫婦と子供二人のための住宅、シュフ(主婦あるいは主夫)のいない家である。そのため、必要最低限の家事量で生活できることが求められていた。家の南側に大きな洗濯物を干すスペースを設けており、そこに子供たちが洗濯物を干す。しかし洗濯物をたたむことは子供や忙しい両親にとってかなりの手間になる。そのためのこの開放的な物干しスペースは干してある洗濯物をそのまま着ていくスペースである。
住まい手が「テレビを見る部屋がリビングルームなら、その部屋は要らない。」といっていたこともあり、この家にはリビングルームがない。そのこともあって、1階はオープンキッチンとダイニング、ライブラリー(仕事ができるスペース)が一体となった非常に開けた空間になっている。両親の仕事が忙しくてあまり家にいない家庭では子供と親の関係が崩れてしまうことも考えられる。長さ8mのテーブルで家族がそろい各々の作業をするだけでもお互いを意識し家族としてのコミュニケーションも保たれる。住宅のデザインが住む人どうしをつないでいるようだと感じました。
●SS
高齢者、身障者のための集合住宅、各住まいについた、ソトマ、エンドマ、コニワという空間によりそこに住む人たちの空間にプライバシーとパブリックの穏やかなつながりを持たせている。また、身障者世帯、高齢者世帯、一般世帯の計17戸を5〜6戸で1グループにして、3グループ作りコミュニティーが生まれやすいように考慮して計画されている。様々な住まいの人々を繋ごうとしているのだと感じました。
渡辺先生は自分が設計した個人住宅の説明をする時、必ず家族構成やその家族の特徴など細かく説明してくれ、空間について説明してくれる時もその家族がどんな生活をしていてどんなライフスタイルなのか、だからこういう空間になったのだと説明してくれてとても説得力がありました。そしてnLDKは主婦のいる家にはいいが、そうではない家には適合しないという意見にはとても共感しました。ありがとうございました。
DATE : 2007年10月15日
レポート W-studio 阿部哲也
写真提供 Fujitsuka Mitsumasa & Hiroyasu Sakaguchi
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
渡辺真理 (わたなべ まこと )
1950年 群馬県前橋市に生まれる
1973年 京都大学卒業
1977年 京都大学大学院修了
1979年 ハーバード大学デザイン学部大学院修了
1981年 磯崎新アトリエに勤務 ロサンジェルス現代美術館, ブルックリン美術館などを担当
1987年 設計組織ADHを設立
現在 設計組織ADH代表 /法政大学工学部建築学科教授
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以下学生のレポートです。
「これからの住宅設計」
05d7018 上野宏岳
今回の講演で住宅に関して様々な事例と共にその設計意図を学んだが、特に住まいと家族の関係が印象に残った。住まいをつくる上で、その住まい手を考えることはごく自然で、当たり前のことだと思う。しかしこのごく当たり前のことをするにあたって、その時代の家族を分析することは必要不可欠であるということを今回の講演で強く感じた。時代は変化して家族のスタイルも変化する。そしてそれに伴う住宅の変化を追うことで、僕らが担うであろうこれからの住宅設計が見えてくるのではないだろうか。
今回の講演のなかでの「House without a housewife」についての話は非常に興味深く、勉強になった。シュフ(主婦あるいは主夫)のいない家においての渡辺さんの取り組みは非常に明快でわかりやすく、まさに、住宅を家族からか考えた結果であると思う。西千葉に建っているこの住宅の住まい手は、両親共に働いていて、子供もまだ幼いため、家事をする人がいない、まさにシュフのいない家である。住まい手が「テレビを見る部屋がリビングルームなら、その部屋は要らない。」といっていたこともあり、この家にはリビングルームがない。そのこともあって、1階はオープンキッチンとダイニング、ライブラリー(仕事ができるスペース)が一体となった非常に開けた空間になっている。プライベートな空間は二階に集約されていて、1階の開放感を出すために柱をなくしてスラブを梁から吊っているところもある。その他細かい部分も、住まい手のことをとてもよく考えたすばらしい住宅であった。この家族は両親と子供二人の一見普通の核家族である。しかし両親が共働きであるが故、核家族のためにつくられた従来のnLDK型の住まいでは適合しない(渡辺さんはこのような家族を非核家族といっている)。つまり渡辺さんはこの住宅で、時代に伴う核家族の変化に対応した設計をしたのである。そのことがこの家族に喜ばれる住宅につながったのではないだろうか。これから先、典型的な核家族は、nLDK型住居と共に、徐々に姿を消していくように思える。だから僕たちがこれからの住まい手である非核家族も視野にいれた住宅を設計すべきなのだ。しかしここで勘違いしてはいけないことは、nLDK型住居の時代が終わったわけではないということだ。最近は脱nLDKといいがちだが、典型的な核家族に関しては今でもそのプランは適合している。僕たちはあくまで住まい手のための住居を設計するのであって、nLDK型もその選択肢の1つではあるのだ。だからnLDK型を簡単に否定してはいけないと思う。
この講演は、これから先住宅がどう設計されるべきかを考えさせられるものだった。時代と共に家族は変化しているが、それ以上に人のライフスタイルそのものの変化も大きいと思う。ライフスタイルが変われば、考え方、価値観も変わってくるわけで、今まで以上に住まい手が住宅に求めることは多くなるような気がする。そんな中僕らはその変化に対応して住まい手が満足する住宅を建てなければならないと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「変化する家族形態に対する、住宅の回答」
05d7092 中山佳子
主夫―この言葉が使われるようになったのはそう新しいことでない。「主夫」を題材にしたテレビ番組なども数年前に登場し、今では私達に定着している単語である。この言葉に代表されるように、現在、家庭内の家事はもはや女性が一人でこなすものではなくなってきている。ビジネスの社会で活躍し、男性と肩肘を張る女性が大勢いるようになった。彼女たちが結婚をして家庭をもつならば、主夫以外その家庭は共働きの家庭ということになる。これらの世帯と、単身世帯を含む「非核家族」の世帯が増えていくことは今後目に見えている。この事実に対して、これまでの「核家族」に適応した住宅のタイプ(nLDK型)を当てはめていくことは乱暴なことであると考え、「非核家族」には1対1対応で考えるべきだ、という渡邊先生の考え方はとても理にかなっていると思った。そもそも、「家族形態」という切り口から住宅を設計していることが、Living、Dining、Bedroom、水周りがあることを課題の際に前提として考えてしまっていた私にとって、とても新鮮であった。
「NT」は夜まで両親が帰宅せず、姉妹が家にいるという典型的な共働き家族である。日常生活の中で、朝・昼・夜にお母さんの作ったご飯が出てくることや、ご飯のあとにテレビを囲んでくつろぐという行動が存在しない。即ち、その行動に伴うDining、Livingは決して必要なものでなくなってくる。このことをふまえ、キッチンが備わっているCommon Spaceという名の広い場所、共有のカウンターの置かれる書斎、4つの個室が設けられた。洗濯を干す場所は、家事のなかの「たたむ」行為に目を向けて作られている。キッチンは、日常的に誰もが料理をするため、扉の無いオープンキッチンである。くつろぐ・食卓を囲むという従来の家族団欒の形をとらない施主の家庭に対して、Common space・共有の書斎などがこの家庭にそぐう、団欒の場になっているのだと思う。
「SN」は主婦がペットと暮らす家である。この場合、普段の生活の中心はLivingやDiningでない。そのためにこの家ではベッドルームを中心に配し、その周りに水周りの機能が配してある。私の祖母もそうであるが、特に老年の女性が一人で、これまで家族で住んでいた家を守るということには相当な労力を必要とし、孤独感を感じるものである。これに対して「SN」では自身の生活の領域を最小限に、手の届く範囲にすることが可能であると同時に、客人を受け入れることも許容している。そのことが住宅での機能の選択や配置によって実現されている点が良いと感じた。
今後確実に、「非核家族」の割合は「核家族」より多くを占めるようになるだろう。このような家族形態が良いか悪いかは別として、ADHは施主の現状に合わせたベストな家族のコミュニケーションのとり方を、建築で回答していると感じた。そして、家族形態を考え1on1で住宅をつくることは、これからますます必要になることであると思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「柔らかい建築」
05d7054 小林 潤
日本は高度経済成長期に登場した画一化された集合住宅をはじめ、50年以上たった現在でもその『nLDK』という住宅における価値観の尺度を変えていない。しかし、この50年の間に人々の考えは変わり、家族形態も核家族、さらに非核家族といわれる形態に変化した。しかし、住宅における価値観尺度の変化のなさによって日本には大量の住宅貧困と醜い都市景観が生まれた。
そのような状況のなかで”建築家は何をするべきなのか”という問いに渡辺教授は『適合』『転位』『挑戦』というキーワードで私たちに講演をしてくださった。
今回の講演を聴き、私が感じたことは『建築は柔らかくなければいけない』ということである。人々の思想、制度など人間や社会は常に変化し、その無限に変化するものに建築は合わせていかなければならない。住宅においてでは、住み手の生活環境、家族独自の思考、周辺からの外的影響など様々な諸問題の中で設計しなければいけない。その中で、建築は諸問題を包み込み、柔らかくその表情を変えていく必要がある。よって、柔らかい建築はどのような”形”であっても適合していくのである。現在も続く『nLDK』という住宅公式においては、建築は固く変化しようとしない。それでは、住宅の貧困はなくならないのである。
その柔らかい建築をつくる手段として『転位』がある。転位は、その字の如く、必要だが諸条件によって不可能になったことを移すことによって可能にするのである。ここに建築家の能力が表れるところだと思う。また、転位は行われることでその行為とは別に新たな価値観を生み出し、次から次へと発展するのである。 このように建築家は様々な問題と戦いながら挑戦することで新たなステップへと進化してきた。この挑戦において”住宅”は比較的規模が小さく、問題も多いので格好の実験場となるのである。
今回、建築における住宅についての講演を聞いているうちに建築における住宅と自動車におけるF1というものがとても酷似している感じた。自動車における最先端は常にF1である。F1で使われた部品、部材はのちに私たちの乗る乗用車に使われる。”実験場としての住宅”という点では同じなのではないだろうか。また、F1では決められたコース、諸条件で少しでも速く走るために、タイヤのグリップから給油のタイミング、コースの天候など様々な点に気を配る。住宅また建築全般においても諸条件に対して様々な考えのもと設計するのと同じである。また、F1において、いくらフェラーリのマシンのポテンシャルが高いからといって絶対的に速く走れるわけではない。そこがF1のおもしろいとこである。建築も同様、いくら有名建築家が設計するからといって必ず良いものができるとは限らない。そこにチャンスがあり、おもしろさがあるのだと思う。
今回、『諸条件に対して柔軟な建築でなければならない』ということは薄々、日々の課題の中で気づいていたことだ。しかし、課題ですらその柔軟な建築にすることは難しい。しかし、それを実施設計として実現する難しさを講演を通し、実感できたことはとても良い経験になった。
by a-forum-hosei
| 2007-10-15 08:45
| 2007