2006年 12月 16日
【第9回】安田さん・寺本さん講演 |
今回は前回に引き続き寺本さんと安田さんに講演していただきました。
まず寺本さんに最近ご興味を持たれて活動されている事を写真を見せていただきながら説明していただきました。
【民家再発見プロジェクト】
中越進行復興プランニングエイドというグループに所属し、中越地震で被災した中山間地の集落の支援を行っているそうです。
中越の古民家の調査、また中山間地での過疎化・離農化についての調査をなどを通して、集落活性化の努めているとのことです。
学生も参加し、模型作り、など地域の方々とコミュニケーションをとりながら進めているそうです。

このプロジェクトで一番難しいことは調査をすることが上から目線と思われてしまいがちな事。
調査だけして提出して帰っていくのでは全く意味がない
きちんと最後まで市域の方々の話に耳を傾けうまくコミュニケーションをとるのが一番大切だと言うことをおっしゃっていました。
このことは今大学院生が参加しているプロジェクトでも言える事で
私自身とても考えさせられるお話でした。
3年生の学生もいずれこのような機会を持つ事があるかもしれないので
今回してくださった話を忘れないで欲しいものです。
【空間ワークショップ】
子供が主体となり自分より大きい空間を、長・短2種の木材(小割り材)を組みあげ作るワークショップです。
小学校の校庭に街をつくろう!ということもやったそうです。

大人になった私たちには考えつかない造形に出会えそうで
是非参加してみたいものだと感じました。
パソコン上だけでなく実際に手を動かして、しかも1分の1で作れちゃうというのがとても魅力的です。
安田さんには先週に引き続き建築家という職業について詳しくお話していただきました。
実務訓練履修科目の説明
管理と監理の違い
アトリエ・組織設計事務所の割合
各平均年齢・受注額・年収・残業
世界平均にみる日本の建築家の割合
などなど
大変興味深い内容でした。
安田さんもおっしゃてたのですが、
はたしてここまで聞いて、さて『建築家』という職業に魅力を感じるか?
ということです。
今回お話していただいた事は決して夢のあるお話ではないですが
安田さんもお金だけではないクリエイティブな職業だと言うことを最後に付け加えれられてました。
先週今週と
今将来を考える立場にいる3年生にとって
建築家という職業について考えるよい機会だったと思います。
安田さん寺本さん2週間に渡りどうもありがとうございました。
※お二人の略歴は先週のレポートがあるので省略させていただきます
レポートM1 MM
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以下学生レポートです
建築家ができること 04D7019 円城寺 香菜
今回の講演はまず、寺本先生に中越震災復興プランニングエイドの「法末集落民家再発見プロジェクト」について紹介して頂いた。人々と建築家が、「何かを設計する」ということ以外で、別の手段で関わりあう一面を知ることができとても興味深いお話だった。
私は今まで建築を学んできて、ときどき疑問に思うことがあった。それは「建築家」という職業が、人の役に立てるものなのだろうかということだ。雑誌やテレビなどで大々的に新しい建物が紹介され、注目される。これは良いとか悪いなどと講評される。そんな繰り返しをすることが建築家の仕事だとしたら、単に自己満足の世界で終わってしまっているような気がして怖い。人のために設計をするはずなのに、結果的に自分が満足するために設計をして人の役には立てているのだろうかと思うことがある。人も自分も満足するものを建てれば良いのだ、といえばそれはそうかもしれないが、そもそも設計をして建物を建てるということ自体にどれだけの意味があるのかとときどき不安になる。それよりも先に人の役に立つためにやるべきことがあるのではと考えてしまう。しかしそうすると、自分が今建築学科で学んで将来建築に関わって仕事をしたいと思っていることが間違いだという結末に至りそうだ。それも嫌で、今まで見ないようにしてきたところが恐らくあった。
今回の講演で中越震災復興のプロジェクトを紹介して頂き、ひとまず「設計」以外の役割でも建築家ができる役割があるというのを具体的に知ることができた。このプロジェクトの内容は、民家調査、交流茶会、民家模型の作成、写真展、民家再生WSというもので、3年がかりで支援していくそうだ。また、その中で住宅相談キャラバンというものについてのお話があった。震災後、住宅が住み続けられるものかどうか応急危険度を見て周るというお話だった。震災後の人々の安全を確保したり、人々の不安を取り除いたりするとても大切な役割だと思った。そしてこのプロジェクトの今後の課題で「友情から共生へ」と書かれていたことが、私にはとても印象的だった。困っている人や苦しんでいる人を支援することはもちろん人の役に立つことだ。しかし、ずっと支援される側支援する側という関係のままではなく、いずれは「共生」することになる。同じ水準で共に生きていかなければいけない。そのときに、「設計」という役割で建築家ができることが山ほどあるかもしれないと思った。具体的に『住』という面では、建築家ができることがありそうだ。住む場所を確保するどころの話ではない、食べるものさえないという人はたくさんいるけれど、やはり生きていく上で住空間をおろそかにはできない。最低限の要素でどれだけ落ち着ける空間をつくり出せるかなど、設計を学んだからこそできることがたくさんあるだろう。恵まれた人々にも、建築の空間によってもっと共生の意識を高めさせることができるかもしれない。
言葉だけでは抽象的になってしまうが、とにかく人々の気持ちや意識という面で、建築家が人の役に立てることがある気がする。それは例えば医者のように直接的に人を救うわけではなく、人々にとっては役に立ったなどと意識されないことかもしれない。けれどとても大切な役割である。講演の内容とはだいぶずれてしまったが、建築家は「縁の下の力持ち」として人の役に立つことができる。そしてそうすれば、建築を学んできたことがとても意味あるものになると感じた。
04d7031川田 佳苗
わたしはいま学んでいる建築の知識を人のために生かしたいと考えている。海外ボランティアをしたいと考えるのもそのためである。それなので今回の社会貢献という話にも興味があった。
今回寺本さんにお話しいただいた中でも法末集落民家再発見プロジェクトの話は興味深かったが、わたしが特に心に残ったのは地元の人々は1年限りの調査ではあまり好意的ではなかったということ。「好意的ではない」という言い方には語弊があるかも知れないが、寺本さんの話を聞いて、地元の人たちは1年限りの調査ではなくて実際に集落を存続させるための活動をしてくれることを望んでいたと言うことがわかった。しかしそれは自分が地元住民だとしたら当然考えることだと思う。そして寺本さん達、法末集落民家再発見プロジェクトは調査から交流のためのお茶会、民家の模型作り、写真展を経て民家再生まで最低三年と言うことでプロジェクトを進めたとおっしゃっていた。以前の講演で渡辺先生も月影小学校の再生計画の話をしてくださったときに模索しつづけながら数年にわたってそのプロジェクトを進めているとおっしゃっていた。社会貢献は数日や数ヶ月でできるものではない。まして地域の再生計画なら一年でもできないと思う。それは、もしかしたら自分にとってはプロジェクトに参加した数年かもしれないが、地元の人々にとってはこれから先も住み続ける町であり、これから先も使いつづける施設であるから生半可な気持ちでやってはいけないと言うことである。
また寺本さんははじめ距離があった地元の人々とも交流茶会を開くことで距離が縮まった。地元の人々とコミュニケーションを取ることが大切だとおっしゃっていた。その話を聞いてわたしも自分自身がタイで経験したことを思い出した。わたしの場合は小学校の増築であったが、はじめはタイの人の中では日本から来た人たちが小学校を建ててくれるという感覚だったのか、わたしたちの作業中も外から見守られていたが歓迎会や交流会を通して地元の人々との仲が深まっていき、最後には日本からの参加者もタイの地元の人々も一緒に作業したのを覚えている。そしてわたしはそれがとても嬉しかった。やはり社会貢献やボランティアをするときは現時の人の協力なしにはできないし、そこに住み続けていくのは現地の人々なのだから現地の人々が主体にならないといけないと思う。そういった意味で地元の人々とコミュニケーションを取り、心を開いてもらうことはとても大切であると思った。
今回の講演は寺本さんがしている社会貢献とわたしが将来したいと思っているボランティアとに通じていることが多くとても興味深い講演であった。
欠如したものを直す試み 04D7082 富田 彬夫
今回は前回に引き続き、JIAの安田雅子さんと建築家の寺本晰子さんの2人で講演を行なってくれた。今回は前回の「国際化」というテーマからもっと身近なものとなり、去年起こった姉歯事件等による一連の耐震偽装問題からの「社会的信頼の喪失」であった。
改めて思うことがある。それは建築に関わる仕事をするということは非常に公共性の高い仕事であるということである。資格を取ったからといって大丈夫かといえば全くそんなことなく、やっと建築家としての扉に手をかけたという程度。民間の信頼を勝ち得るためには何よりも質の高い良い仕事をしなくてはならない。そこで僕は思う。果たして自分にその重大な仕事をやるスキルが備わっているのかと。一概には言えない部分はあるだろうが、建築=創造である。創造の喜びは何物にも変えがたい。これもまた事実である。僕達学生にとってこれから先の未来というものは近いようで遠く、全然実感として湧いてこない。今はその創造への喜び、賛美といったものよりも自分自身への不安、社会に対しての恐怖が大きい。
そんな中で講演の後半部では建築家の社会貢献の話へ移行していったが、その中で言っていた言葉ですごく印象に残っているのが「無駄なことは何もない。遠まわりしてもいいよ。そこで考え蓄えたことを社会にアプローチしていけばいい。」といった言葉です。最終的に僕達は社会に対して何らかのアプローチをしていかなければならない。そのことに対して恐がらなくていいんだよと言われたような気がして、安堵した。
そして寺本さんが学生時代に大江宏先生によく言われた言葉、「philosophyがない」というものも強く印象に残った。philosophyは哲学とは違うらしい。今の僕には深い意味を知るには全然足りないようだが、いずれこの真の意味がわかる日がくるのだろうか。少なくとも今の段階で思うのは、都市だけでなく人も、このphilosophyが完全に欠如しているということはないとは思う。ただところどころ欠けてはいると思う。その欠け方も目立つほどに。僕らはその欠けた部分を直すために生きているのではないか。それを大きな範囲でできるのが建築家ではないかと、今の僕は思っている。将来への不安は決して小さくはないが、今回の講演で少しでも先を見ることができたのは良かったと思う。

【民家再発見プロジェクト】
中越進行復興プランニングエイドというグループに所属し、中越地震で被災した中山間地の集落の支援を行っているそうです。
中越の古民家の調査、また中山間地での過疎化・離農化についての調査をなどを通して、集落活性化の努めているとのことです。
学生も参加し、模型作り、など地域の方々とコミュニケーションをとりながら進めているそうです。

このプロジェクトで一番難しいことは調査をすることが上から目線と思われてしまいがちな事。
調査だけして提出して帰っていくのでは全く意味がない
きちんと最後まで市域の方々の話に耳を傾けうまくコミュニケーションをとるのが一番大切だと言うことをおっしゃっていました。
このことは今大学院生が参加しているプロジェクトでも言える事で
私自身とても考えさせられるお話でした。
3年生の学生もいずれこのような機会を持つ事があるかもしれないので
今回してくださった話を忘れないで欲しいものです。
【空間ワークショップ】
子供が主体となり自分より大きい空間を、長・短2種の木材(小割り材)を組みあげ作るワークショップです。
小学校の校庭に街をつくろう!ということもやったそうです。

大人になった私たちには考えつかない造形に出会えそうで
是非参加してみたいものだと感じました。
パソコン上だけでなく実際に手を動かして、しかも1分の1で作れちゃうというのがとても魅力的です。

実務訓練履修科目の説明
管理と監理の違い
アトリエ・組織設計事務所の割合
各平均年齢・受注額・年収・残業
世界平均にみる日本の建築家の割合
などなど
大変興味深い内容でした。
安田さんもおっしゃてたのですが、
はたしてここまで聞いて、さて『建築家』という職業に魅力を感じるか?
ということです。
今回お話していただいた事は決して夢のあるお話ではないですが
安田さんもお金だけではないクリエイティブな職業だと言うことを最後に付け加えれられてました。
先週今週と
今将来を考える立場にいる3年生にとって
建築家という職業について考えるよい機会だったと思います。
安田さん寺本さん2週間に渡りどうもありがとうございました。
※お二人の略歴は先週のレポートがあるので省略させていただきます
レポートM1 MM
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下学生レポートです
建築家ができること 04D7019 円城寺 香菜
今回の講演はまず、寺本先生に中越震災復興プランニングエイドの「法末集落民家再発見プロジェクト」について紹介して頂いた。人々と建築家が、「何かを設計する」ということ以外で、別の手段で関わりあう一面を知ることができとても興味深いお話だった。
私は今まで建築を学んできて、ときどき疑問に思うことがあった。それは「建築家」という職業が、人の役に立てるものなのだろうかということだ。雑誌やテレビなどで大々的に新しい建物が紹介され、注目される。これは良いとか悪いなどと講評される。そんな繰り返しをすることが建築家の仕事だとしたら、単に自己満足の世界で終わってしまっているような気がして怖い。人のために設計をするはずなのに、結果的に自分が満足するために設計をして人の役には立てているのだろうかと思うことがある。人も自分も満足するものを建てれば良いのだ、といえばそれはそうかもしれないが、そもそも設計をして建物を建てるということ自体にどれだけの意味があるのかとときどき不安になる。それよりも先に人の役に立つためにやるべきことがあるのではと考えてしまう。しかしそうすると、自分が今建築学科で学んで将来建築に関わって仕事をしたいと思っていることが間違いだという結末に至りそうだ。それも嫌で、今まで見ないようにしてきたところが恐らくあった。
今回の講演で中越震災復興のプロジェクトを紹介して頂き、ひとまず「設計」以外の役割でも建築家ができる役割があるというのを具体的に知ることができた。このプロジェクトの内容は、民家調査、交流茶会、民家模型の作成、写真展、民家再生WSというもので、3年がかりで支援していくそうだ。また、その中で住宅相談キャラバンというものについてのお話があった。震災後、住宅が住み続けられるものかどうか応急危険度を見て周るというお話だった。震災後の人々の安全を確保したり、人々の不安を取り除いたりするとても大切な役割だと思った。そしてこのプロジェクトの今後の課題で「友情から共生へ」と書かれていたことが、私にはとても印象的だった。困っている人や苦しんでいる人を支援することはもちろん人の役に立つことだ。しかし、ずっと支援される側支援する側という関係のままではなく、いずれは「共生」することになる。同じ水準で共に生きていかなければいけない。そのときに、「設計」という役割で建築家ができることが山ほどあるかもしれないと思った。具体的に『住』という面では、建築家ができることがありそうだ。住む場所を確保するどころの話ではない、食べるものさえないという人はたくさんいるけれど、やはり生きていく上で住空間をおろそかにはできない。最低限の要素でどれだけ落ち着ける空間をつくり出せるかなど、設計を学んだからこそできることがたくさんあるだろう。恵まれた人々にも、建築の空間によってもっと共生の意識を高めさせることができるかもしれない。
言葉だけでは抽象的になってしまうが、とにかく人々の気持ちや意識という面で、建築家が人の役に立てることがある気がする。それは例えば医者のように直接的に人を救うわけではなく、人々にとっては役に立ったなどと意識されないことかもしれない。けれどとても大切な役割である。講演の内容とはだいぶずれてしまったが、建築家は「縁の下の力持ち」として人の役に立つことができる。そしてそうすれば、建築を学んできたことがとても意味あるものになると感じた。
04d7031川田 佳苗
わたしはいま学んでいる建築の知識を人のために生かしたいと考えている。海外ボランティアをしたいと考えるのもそのためである。それなので今回の社会貢献という話にも興味があった。
今回寺本さんにお話しいただいた中でも法末集落民家再発見プロジェクトの話は興味深かったが、わたしが特に心に残ったのは地元の人々は1年限りの調査ではあまり好意的ではなかったということ。「好意的ではない」という言い方には語弊があるかも知れないが、寺本さんの話を聞いて、地元の人たちは1年限りの調査ではなくて実際に集落を存続させるための活動をしてくれることを望んでいたと言うことがわかった。しかしそれは自分が地元住民だとしたら当然考えることだと思う。そして寺本さん達、法末集落民家再発見プロジェクトは調査から交流のためのお茶会、民家の模型作り、写真展を経て民家再生まで最低三年と言うことでプロジェクトを進めたとおっしゃっていた。以前の講演で渡辺先生も月影小学校の再生計画の話をしてくださったときに模索しつづけながら数年にわたってそのプロジェクトを進めているとおっしゃっていた。社会貢献は数日や数ヶ月でできるものではない。まして地域の再生計画なら一年でもできないと思う。それは、もしかしたら自分にとってはプロジェクトに参加した数年かもしれないが、地元の人々にとってはこれから先も住み続ける町であり、これから先も使いつづける施設であるから生半可な気持ちでやってはいけないと言うことである。
また寺本さんははじめ距離があった地元の人々とも交流茶会を開くことで距離が縮まった。地元の人々とコミュニケーションを取ることが大切だとおっしゃっていた。その話を聞いてわたしも自分自身がタイで経験したことを思い出した。わたしの場合は小学校の増築であったが、はじめはタイの人の中では日本から来た人たちが小学校を建ててくれるという感覚だったのか、わたしたちの作業中も外から見守られていたが歓迎会や交流会を通して地元の人々との仲が深まっていき、最後には日本からの参加者もタイの地元の人々も一緒に作業したのを覚えている。そしてわたしはそれがとても嬉しかった。やはり社会貢献やボランティアをするときは現時の人の協力なしにはできないし、そこに住み続けていくのは現地の人々なのだから現地の人々が主体にならないといけないと思う。そういった意味で地元の人々とコミュニケーションを取り、心を開いてもらうことはとても大切であると思った。
今回の講演は寺本さんがしている社会貢献とわたしが将来したいと思っているボランティアとに通じていることが多くとても興味深い講演であった。
欠如したものを直す試み 04D7082 富田 彬夫
今回は前回に引き続き、JIAの安田雅子さんと建築家の寺本晰子さんの2人で講演を行なってくれた。今回は前回の「国際化」というテーマからもっと身近なものとなり、去年起こった姉歯事件等による一連の耐震偽装問題からの「社会的信頼の喪失」であった。
改めて思うことがある。それは建築に関わる仕事をするということは非常に公共性の高い仕事であるということである。資格を取ったからといって大丈夫かといえば全くそんなことなく、やっと建築家としての扉に手をかけたという程度。民間の信頼を勝ち得るためには何よりも質の高い良い仕事をしなくてはならない。そこで僕は思う。果たして自分にその重大な仕事をやるスキルが備わっているのかと。一概には言えない部分はあるだろうが、建築=創造である。創造の喜びは何物にも変えがたい。これもまた事実である。僕達学生にとってこれから先の未来というものは近いようで遠く、全然実感として湧いてこない。今はその創造への喜び、賛美といったものよりも自分自身への不安、社会に対しての恐怖が大きい。
そんな中で講演の後半部では建築家の社会貢献の話へ移行していったが、その中で言っていた言葉ですごく印象に残っているのが「無駄なことは何もない。遠まわりしてもいいよ。そこで考え蓄えたことを社会にアプローチしていけばいい。」といった言葉です。最終的に僕達は社会に対して何らかのアプローチをしていかなければならない。そのことに対して恐がらなくていいんだよと言われたような気がして、安堵した。
そして寺本さんが学生時代に大江宏先生によく言われた言葉、「philosophyがない」というものも強く印象に残った。philosophyは哲学とは違うらしい。今の僕には深い意味を知るには全然足りないようだが、いずれこの真の意味がわかる日がくるのだろうか。少なくとも今の段階で思うのは、都市だけでなく人も、このphilosophyが完全に欠如しているということはないとは思う。ただところどころ欠けてはいると思う。その欠け方も目立つほどに。僕らはその欠けた部分を直すために生きているのではないか。それを大きな範囲でできるのが建築家ではないかと、今の僕は思っている。将来への不安は決して小さくはないが、今回の講演で少しでも先を見ることができたのは良かったと思う。
by a-forum-hosei
| 2006-12-16 22:40
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