2006年 11月 27日
第7回建築フォーラム |
今回はヨコミゾマコトさんに講演をしていただきました。

テーマ『柔軟さと強靭さ』
今回の講義では前半に代表作である富広美術館を中心に建築に対する考え方、つくる過程でどう考えていったかを話され、その後考え方が派生してできた作品をいくつか紹介されました。

冒頭でぶどうの葉っぱの写真を用い触れられたのは『自己最適化』ということ。ぶどうの葉っぱはどれかひとつだけ伸びてしまうと下にある他の葉が日光不足で駄目になってしまう。全体として良い状態であることが大事であってどれか一つがよければいいわけではないということ。そしてそれは建築のいてもいえるということ。そこにあるのが『柔軟さと強靭さ』であり環境の変化に対しいかに対応できるかということは建築の世界においても重要であると考え方を示されました。

またネットワークと建築は同一の世界にあるのに前者は非階層的で非全体的である。どこまでもきりがないものであるのに対し後者は階層的であり全体的で2つは対極的である。この間をとるような建築はできないのかとの考えも示され、そこで建築をアサガオの茎のような単純な仕組みでありながら複雑なさを持つものにしたいと話されました。
富広美術館においては色々な考えの要素があったようで具体的な形に影響していると思われるものに『ばらつき』があります。これもテーマに通ずる考え方で色々なものがあり、ばらつきがあるほうが様々な状況に応じてそれに特化した個々が対応できるので集団としては強い。

そして円筒の建築ではこれらが接しあうことで互いの座屈を防止することにもなり、富広美術館のような場合はこれによって相互補完性が生まれ、構造的にも全体で安定させられる。ここでも個々の弱さを全体でカバーするということが起きていてこの考え方の応用例を他の作品でも紹介してくださいました。

同志社大学情報メディア研究棟計画案 2002


GSH 2005
高いところには登りたい、低いところには集まりたいという人間の『身体感覚』を示した建築
今回は建築をつくる上での考え方、かたちをつく上での過程などから人間のスケール、身体感覚や自然性を強く感じました。学生が課題を考える中でのいいヒントをたくさんいただいたように思います
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ヨコミゾマコト
aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所代表取締役
東京芸術大学美術学部建築科非常勤講師
東京大学工学部建築学科非常勤講師
東海大学工学部建築学科非常勤講師
法政大学工学部建築学科非常勤講師
東京理科大学工学部建築学科非常勤講師
1962年 神奈川県生まれ
1984年 東京芸術大学美術学部建築科卒業
1986年 東京芸術大学美術学部建築科大学院修了
東京芸術大学美術学部建築科非常勤助手(~89)
1988年 伊東豊雄建築設計事務所入所
2001年 一級建築士事務所 aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所開設
東村立新富弘美術館建設国際設計競技最優秀賞(2002)
通産省グッドデザイン賞(2003)
カナダ林産業審議会カナダグリーンデザイン賞(2003)
東京建築士会住宅建築賞奨励賞(2004)
東京建築士会住宅建築賞金賞(2005)
日本建築学会賞受賞(2006)
レポ M1 Y.K
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以下学生のレポートです。
自己最適化と不均一
04D7001 青山 明生
自己最適化。ヨコミゾさんが講演中に何度も口にした言葉である。自己最適化とは、状況の変化や進行に応じて、システムを構成する個々のコード自体が、順次書き換えられていき、そして全体として改善され、常に最適な状態であろうとする事である。これは柔軟さと強靭さを兼ね備えたものである。身の回りのことで、この自己最適化につながるものとして、ヨコミゾさんはシャボン玉を挙げられた。中の空気の量を変えずに表面積だけを変えるというその姿は、まるで建築の改造案を表しているようだった。中身のコンセプトを変えずに表面(といったら聞こえは悪いが)を変えていく。それは私がこの二年半やってきたことの全てである。この造っては壊し、造っては壊しの繰り返しで最適な状態に近づけていく行為。これは、模型を通しての自己最適化ではないのか。自分をより高みへと引き上げていくこの行為は、繰り返せば繰り返すほど高度を上げていく。しかしこの場合に限っては、シャボン玉の、安定する形と比べても、理想や解答などは無い。だからシャボン玉のように、すぐに安定した形である終局形になるわけではないので、悩み、そして積み重ねるのである。それを考えていく上で、建築は単純であり、複雑なもの、そしてそこに人間を入れよというヨコミゾさんの言葉が、とても深くて考えさせられた。これを自分の考えで消化すると、建築は、単純な色んな要素を使い、複雑に複合的にそれを絡ませて造る。そういうことだと思った。さらに、人間というものそのものが、とても複雑(生理学上でも精神構造上でも)なものだから、よりいっそう複雑になるのである。
また、不均一なものについて述べてみよう。これは、私のデザイン論の根底に関わってくることなのだが、私は均一なものにはあまり興味を抱けないのである。左右対称の建物だとか、不偏的にならんだ住宅群だとか、まったく関心が湧かないのである。案を作るのも、模型として実現させるのも、いままでほとんど不均一な形をとってきた。あくまで私の考えであるが、均一は、個性の希薄性を含んでいる気がするのだ。これはいわば好みであり、普遍的な考えとしては不適当だが、均一な建物があったとして、それを見たとき、私は、それを考えた人になぜこの形にしたのか問いたくなるのである。不均一なものは美しい。そして均一なものより、個々の要素の関連性が深い。不均一であるがゆえに、個々としては成り立たず、全体とし一つとなっているのだ。これが私のデザイン論の根底にあるものである。
ヨコミゾさんの建築を色々と見せてもらって、今回は円形を主に使った建築が多かったので、非常に興味深かった。その中でも面白いと思ったのは、その室内の円形の大小を考えているときに、全体を見ながら配置しているわけではなく、部分部分の円と円との関連性を考えながら配置していき、後で全体として微調整していくという手順である。私だったら、まったく逆のやり方をやるだろうから、とても意外だった。また、ヨコミゾさんの考え方ではないが、座屈補剛効果がとても不思議に感じた。私は構造に関してあまり詳しくなく、原理は分からないが、不均一なものが互いに助け合い相互補完性により強度を高め合うという話に、美しさを感じた。あと、色々な作品の中で、個人的には富野さんの為に造った美術館が好きだ。建築は、人が住まなくても、中のことを考えなくてはいけない。そのやりくりの仕方に、ヨコミゾさんの建築家としての優しさが前面に出ている作品だと思った。
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建築は、時代と共に変化する
04d7114 水谷高規
ヨコミゾ先生の設計した新富弘美術館。この作品は、おそらく十数年ほど前ならここまでの注目や評価を受けていなかったであろう。先生の提案した、この美術館の異なる4つの性質。それは今までの建築の概念を覆した様に思う。しかも、少しのアイロニーを込めて。
まずは非中心性。インターネットの普及は、地球上の物理的な距離感をなくし、それによってできたネットワーク空間には、全体も中心もない。この新しい空間の概念は、人びとにグローバルに思考し、ローカルに行動することを教えた。ヨコミゾ先生は、この概念を建築においても適応可能であるとした。ネットワークの発達。情報化社会。時代の流れを的確に捉え、今必要なものとは何かを考えた結果であろう。
次に非全体性と非均質性。新富弘美術館には、全体性がない。個々の要素の集積でしかない。集積のさせ方に絶対唯一な解もない。これは、幾通りもの解のうちの一つでしかないのである。用途も美術館に限定されるものではなく、さまざまな規模、用途に適応可能である。さらに個々の要素であるサークル状の空間は、多様な仕上げや素材を用いることで、非均質なものとなり、その集積は、異なる環境の連鎖をつくりだす。日溜まりの明るさ、暗さ、静けさ、にぎやかさ、暖かさ、すずしさ、風通しの良さ。そこにはあらゆるものが存在する、とした。このユニバーサルな考え方は人びとに可能性のある建築だという印象を与えると共に、この建築の弱さを見せている。その建築の提案の輪郭を曖昧なものにすることで、その建築に弱さをだす。それが、逆に強さとなる。それは最近の建築における『流行』ではないだろうか。
そして相対性。この建築の平面計画は極めて単純かつ相対的なルールからできている。必要とされる諸機能と面積からサークルを導き、その集積パターンのなかから相互関係に決定的な矛盾のないものを選択するのみである。永遠にシミュレーション可能なこのシステムは、従来の計画学を全く必要としないという新しさと、そこに「皮肉」が込められている。
社会の変化と共に、人も変わる。時代の流れと共に『流行』も変化する。それにともなって求められる建築も変化する。良しとされる建築も変わる。ヨコミゾ先生の柔軟な頭はそれを察知し、順応した。そしてカタチにすることでうまれたのがこの新富弘美術館なのではないだろうか。
先生の柔軟性は、新富弘美術館のイメージのもとが“泡”というところにも表れている。泡の形態におもしろさを感じるのはいかにも建築家らしいが、そうではなく、シャボン玉の表面膜の薄くてもしなやかで強靭な性質に、少しの興味を覚えたところに先生らしさが表れている。シャボン玉。弱く、はかないそれに強さを感じ、建築にと考える。おそらく先生は、日々あらゆることに疑問を感じ、生活している。そして、興味を持つ。知識の広さと深さは、何かを考える際、重要な意味を持つ。
この先、時代はさらに速度を増して変化していくであろう。そして社会はさらに複雑化していく。それに応じて、建築も確実に変化していく。
今までがそうであったように。

テーマ『柔軟さと強靭さ』
今回の講義では前半に代表作である富広美術館を中心に建築に対する考え方、つくる過程でどう考えていったかを話され、その後考え方が派生してできた作品をいくつか紹介されました。

冒頭でぶどうの葉っぱの写真を用い触れられたのは『自己最適化』ということ。ぶどうの葉っぱはどれかひとつだけ伸びてしまうと下にある他の葉が日光不足で駄目になってしまう。全体として良い状態であることが大事であってどれか一つがよければいいわけではないということ。そしてそれは建築のいてもいえるということ。そこにあるのが『柔軟さと強靭さ』であり環境の変化に対しいかに対応できるかということは建築の世界においても重要であると考え方を示されました。

またネットワークと建築は同一の世界にあるのに前者は非階層的で非全体的である。どこまでもきりがないものであるのに対し後者は階層的であり全体的で2つは対極的である。この間をとるような建築はできないのかとの考えも示され、そこで建築をアサガオの茎のような単純な仕組みでありながら複雑なさを持つものにしたいと話されました。
富広美術館においては色々な考えの要素があったようで具体的な形に影響していると思われるものに『ばらつき』があります。これもテーマに通ずる考え方で色々なものがあり、ばらつきがあるほうが様々な状況に応じてそれに特化した個々が対応できるので集団としては強い。




高いところには登りたい、低いところには集まりたいという人間の『身体感覚』を示した建築
今回は建築をつくる上での考え方、かたちをつく上での過程などから人間のスケール、身体感覚や自然性を強く感じました。学生が課題を考える中でのいいヒントをたくさんいただいたように思います
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ヨコミゾマコト
aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所代表取締役
東京芸術大学美術学部建築科非常勤講師
東京大学工学部建築学科非常勤講師
東海大学工学部建築学科非常勤講師
法政大学工学部建築学科非常勤講師
東京理科大学工学部建築学科非常勤講師
1962年 神奈川県生まれ
1984年 東京芸術大学美術学部建築科卒業
1986年 東京芸術大学美術学部建築科大学院修了
東京芸術大学美術学部建築科非常勤助手(~89)
1988年 伊東豊雄建築設計事務所入所
2001年 一級建築士事務所 aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所開設
東村立新富弘美術館建設国際設計競技最優秀賞(2002)
通産省グッドデザイン賞(2003)
カナダ林産業審議会カナダグリーンデザイン賞(2003)
東京建築士会住宅建築賞奨励賞(2004)
東京建築士会住宅建築賞金賞(2005)
日本建築学会賞受賞(2006)
レポ M1 Y.K
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以下学生のレポートです。
自己最適化と不均一
04D7001 青山 明生
自己最適化。ヨコミゾさんが講演中に何度も口にした言葉である。自己最適化とは、状況の変化や進行に応じて、システムを構成する個々のコード自体が、順次書き換えられていき、そして全体として改善され、常に最適な状態であろうとする事である。これは柔軟さと強靭さを兼ね備えたものである。身の回りのことで、この自己最適化につながるものとして、ヨコミゾさんはシャボン玉を挙げられた。中の空気の量を変えずに表面積だけを変えるというその姿は、まるで建築の改造案を表しているようだった。中身のコンセプトを変えずに表面(といったら聞こえは悪いが)を変えていく。それは私がこの二年半やってきたことの全てである。この造っては壊し、造っては壊しの繰り返しで最適な状態に近づけていく行為。これは、模型を通しての自己最適化ではないのか。自分をより高みへと引き上げていくこの行為は、繰り返せば繰り返すほど高度を上げていく。しかしこの場合に限っては、シャボン玉の、安定する形と比べても、理想や解答などは無い。だからシャボン玉のように、すぐに安定した形である終局形になるわけではないので、悩み、そして積み重ねるのである。それを考えていく上で、建築は単純であり、複雑なもの、そしてそこに人間を入れよというヨコミゾさんの言葉が、とても深くて考えさせられた。これを自分の考えで消化すると、建築は、単純な色んな要素を使い、複雑に複合的にそれを絡ませて造る。そういうことだと思った。さらに、人間というものそのものが、とても複雑(生理学上でも精神構造上でも)なものだから、よりいっそう複雑になるのである。
また、不均一なものについて述べてみよう。これは、私のデザイン論の根底に関わってくることなのだが、私は均一なものにはあまり興味を抱けないのである。左右対称の建物だとか、不偏的にならんだ住宅群だとか、まったく関心が湧かないのである。案を作るのも、模型として実現させるのも、いままでほとんど不均一な形をとってきた。あくまで私の考えであるが、均一は、個性の希薄性を含んでいる気がするのだ。これはいわば好みであり、普遍的な考えとしては不適当だが、均一な建物があったとして、それを見たとき、私は、それを考えた人になぜこの形にしたのか問いたくなるのである。不均一なものは美しい。そして均一なものより、個々の要素の関連性が深い。不均一であるがゆえに、個々としては成り立たず、全体とし一つとなっているのだ。これが私のデザイン論の根底にあるものである。
ヨコミゾさんの建築を色々と見せてもらって、今回は円形を主に使った建築が多かったので、非常に興味深かった。その中でも面白いと思ったのは、その室内の円形の大小を考えているときに、全体を見ながら配置しているわけではなく、部分部分の円と円との関連性を考えながら配置していき、後で全体として微調整していくという手順である。私だったら、まったく逆のやり方をやるだろうから、とても意外だった。また、ヨコミゾさんの考え方ではないが、座屈補剛効果がとても不思議に感じた。私は構造に関してあまり詳しくなく、原理は分からないが、不均一なものが互いに助け合い相互補完性により強度を高め合うという話に、美しさを感じた。あと、色々な作品の中で、個人的には富野さんの為に造った美術館が好きだ。建築は、人が住まなくても、中のことを考えなくてはいけない。そのやりくりの仕方に、ヨコミゾさんの建築家としての優しさが前面に出ている作品だと思った。
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建築は、時代と共に変化する
04d7114 水谷高規
ヨコミゾ先生の設計した新富弘美術館。この作品は、おそらく十数年ほど前ならここまでの注目や評価を受けていなかったであろう。先生の提案した、この美術館の異なる4つの性質。それは今までの建築の概念を覆した様に思う。しかも、少しのアイロニーを込めて。
まずは非中心性。インターネットの普及は、地球上の物理的な距離感をなくし、それによってできたネットワーク空間には、全体も中心もない。この新しい空間の概念は、人びとにグローバルに思考し、ローカルに行動することを教えた。ヨコミゾ先生は、この概念を建築においても適応可能であるとした。ネットワークの発達。情報化社会。時代の流れを的確に捉え、今必要なものとは何かを考えた結果であろう。
次に非全体性と非均質性。新富弘美術館には、全体性がない。個々の要素の集積でしかない。集積のさせ方に絶対唯一な解もない。これは、幾通りもの解のうちの一つでしかないのである。用途も美術館に限定されるものではなく、さまざまな規模、用途に適応可能である。さらに個々の要素であるサークル状の空間は、多様な仕上げや素材を用いることで、非均質なものとなり、その集積は、異なる環境の連鎖をつくりだす。日溜まりの明るさ、暗さ、静けさ、にぎやかさ、暖かさ、すずしさ、風通しの良さ。そこにはあらゆるものが存在する、とした。このユニバーサルな考え方は人びとに可能性のある建築だという印象を与えると共に、この建築の弱さを見せている。その建築の提案の輪郭を曖昧なものにすることで、その建築に弱さをだす。それが、逆に強さとなる。それは最近の建築における『流行』ではないだろうか。
そして相対性。この建築の平面計画は極めて単純かつ相対的なルールからできている。必要とされる諸機能と面積からサークルを導き、その集積パターンのなかから相互関係に決定的な矛盾のないものを選択するのみである。永遠にシミュレーション可能なこのシステムは、従来の計画学を全く必要としないという新しさと、そこに「皮肉」が込められている。
社会の変化と共に、人も変わる。時代の流れと共に『流行』も変化する。それにともなって求められる建築も変化する。良しとされる建築も変わる。ヨコミゾ先生の柔軟な頭はそれを察知し、順応した。そしてカタチにすることでうまれたのがこの新富弘美術館なのではないだろうか。
先生の柔軟性は、新富弘美術館のイメージのもとが“泡”というところにも表れている。泡の形態におもしろさを感じるのはいかにも建築家らしいが、そうではなく、シャボン玉の表面膜の薄くてもしなやかで強靭な性質に、少しの興味を覚えたところに先生らしさが表れている。シャボン玉。弱く、はかないそれに強さを感じ、建築にと考える。おそらく先生は、日々あらゆることに疑問を感じ、生活している。そして、興味を持つ。知識の広さと深さは、何かを考える際、重要な意味を持つ。
この先、時代はさらに速度を増して変化していくであろう。そして社会はさらに複雑化していく。それに応じて、建築も確実に変化していく。
今までがそうであったように。
by a-forum-hosei
| 2006-11-27 16:30
| 2006