2006年 10月 06日
【第二回】前田紀貞さん講演 |
テーマ「建築の筋・人の筋」
第二回建築フォーラムは前田紀貞さんをお迎えして行われました。
フォーラム全体としては前田さんの作品を材料として進んで行きました。
今回説明して頂いた前田さんの作品は以下の通りです。
■H-PRO ・・・ 長方形が変化した形
■DEVICE#9 ・・・ 4コの四角をくりぬく
■FOX ・・・ 海が見えるきれいな景色を活かし、建築は主張しない
■ALICE ・・・ 四角いBoxにプールを差し込む
■FLAMINGO ・・・ コの字の組み合わせ
■WEB ・・・ 5コのCUBEを差して行く
■FUNES ・・・ ガラスinガラス
■BORZOI ・・・ 波の形、穴を開ける
■KNOCK OUT THE MOONLIGHT ・・・ 長い帯を巻いていく
■TANGO ・・・ 5コのリングの組み合わせ
■THE ROSE ・・・ プリンをくりぬく
■FONTANA ・・・ キャンパスに切り込みを入れていく
■MALIBU ・・・ 帯を基礎から上部までぐるぐる巻いていく
(■作品名 ・・・ 作品の特徴=ルール)
これらの作品に共通して言えることが、一つのルールを最初から最後まで一貫していると言うことです。
この『ルール』こそ、前田さんが一番主張されていたことでした。
「どんな建物に関しても1つのシンプルなルールを作り挑む、あとは自然が様々に作ってくれる。そんな空気感・建築システムが大切である。」という事をお話して下さいました。
その事に関してはフォーラム冒頭で竜安寺の石庭、また能面等を例に挙げて説明されたした。
竜安寺は前田さんの大好きな場所だそうです。この場所自体は確かにシンプルであるけれど、だからこそ自然が作り出す空間が素敵なのですね。
実際に竜安寺を訪れた人は良く分かると思いますがとても静かなで落ち着く場所です。
また能面はシンプルでありながら、光のあて方だけでこんなにも表情が変化します。
※光のあて方 左:正面 中央:上部 右:下部
たくさんの作品から前田さんの考え方を教えていただきましたが、ここではその中でも
BORZOI ,FONTANAの2つの作品を載せたいと思います。
■FONTANA
この作品はイタリア人画家、ルチオ・フォンタナ氏の何も描かれていないキャンバスにナイフで切り込みを入れた作品(ナイフで切り込みを入れることで、キャンバスに張力が張っていることが分かる。)を空間に当てはめたもので、切り込み=7つのガーデンを設けることで内部に自然を誘い込み、その時々で空間の表情が変化する建物だそうです。写真を見ると実際にガーデンが切り込みのように見えます。(※写真左:外観、右:内部)
■BORZOI
BORZOIは波の形からきているそうです。そこに防犯の意図も含め窓は設けず、穴を開けて内部を明るくしているそうです。外観が真っ黒で内部は真っ白というのも対照的です。右下の写真は犬のためのドッグランだそうです。私の家にも欲しい空間です。
(※写真上:外観、下:内部)
フォーラム途中では、映像を用いて作品を紹介してくださいました。前田さんの作品は全体的に外部空間を内部に引き込んでいる作品が多く感じられましたが、この様に映像を用いると内部と外部の絡み合った空間を実際に体験することが出来、より作品を理解しやすかったと思います。
お施主さんに対してもこの様にあらゆる手段でその建物に関して100%説明するそうです。この時間が非常に大切な時間であり、一番時間がかかるとおっしゃっていました。(このように施主に分かってもらうためのサービスは100%するということもおっしゃっていましたね。)
「施主に対して媚びている訳ではなく、自分の建築を実現させるため。」という事が非常に自分の中に残る言葉でした。
作品を通して、前田さんの建築に対する考え方を学びましたが、それはテーマにもあるように人間としての『前田紀貞』を学んだようでもありました。非常に濃い時間だったように思います。
貴重なお話をどうもありがとうございました。
※写真提供: 前田さん、 前田紀貞アトリエホームページより
レポート 渡邉研究室M1 M・E
写真撮影 渡邉研究室M1 Y・K
------------------------------------
前田紀貞
1960年 東京都生まれ
1985年 京都大学工学部建築学科卒業
1985年 大成建設設計本部入社
1990年 前田紀貞アトリエ主宰
------------------------------------
以下、学生のレポートです。
「建築の筋・人の筋」 04d7027 小野 裕美
設計の課題が出されたとき、私はとにかく悩む。コンセプトが決まっても、それを上手く形にすることができないのだ。敷地や関係や周りの環境との関係、建築と人との関係・・・ひとつの建物を設計するためには、考えければならないことが沢山ありすぎる。これらを考える上でのヒントになるのが、前田先生の言う「ルール」であり「筋を通す」ことだと思う。「四角い建物をくり貫く」というルール、「コの字の壁によって建物をつくる」というルール。建物ごとにルールは違うけれども、ルールによって建てられた建物は「潔い」感じがして、なんだかカッコイイ。例えば、開口部を開ける際にも、ルールから作られた開口部は無駄がない。もし、ルール以外の開口部を開ければ、ルールの存在が薄れてしまう。だから、ルールを決めた際は、とことんルールにこだわらないと、ルールの意味がなくなってしまう。この、「とことんこだわる」ことが、私の感じた「潔さ」であり、前田先生の言う「筋を通す」ことだと思った。そこで、自分が作ってきた建築は筋が通っていたか、と考えてみた。
3年前期の中期課題では、「雨の学校」という課題をやった。雨の日に傘を差した人々がごった返し、傘の花が咲いたようになる――そんな都会の風景をイメージして形を作っていった。また、傘から雨が流れる「雨垂れ」のイメージも表現したく、傘の屋根から雨が流れる様子を見せたかった。しかし、だんだん「傘」よりも「雨垂れ」や「雨粒」の表現が主なコンセプトとなっていき、「傘・雨垂れ・雨粒」これらのキーワードが頭の中でゴチャゴチャになってしまった。結果的に頭の中にあるさまざまな考えが整理できず、全てを入れ込んだ形になってしまったと思う。もっと自分の考えを整理し、明確なコンセプトを考えられたのではないか、もっとコンセプトと形の関係を分かり易くできたのではないか、と反省している。
前田先生のように「ルール」を考えることは、自分の考えを分かり易く表現する上でとても参考になると思った。実際に、前田先生の作る建築はとても分かり易く、四つの中庭をくり貫くルールからは、自然の介入によってシンプルな箱とルールにより一つの空間が変化していく様子がよく分かった。しかし、私はただ単に前田先生の真似をしてルールから建築を作っていくことはしたくない。ルールは筋を通すことの一例であり、私は「筋を通す」ということ自体を見習いたいと思う。前期の課題においても、もっとよく考え、自分の考えを貫くことが必要だったと思うし、そうすることによって、より良い建築が作り出せたと思う。
「筋を通す」ためには、強い意志が必要だと思う。建築に対して精一杯意やろうという意気込みがないと、筋は通せないと思う。建築を設計するときのみならず、自分の課題への取り組み方や、建築との向き合い方、さまざまな面において、まずは自分の筋を通すことから始めようと思った。
「ルールによる建築」 04D7035 木下 元
何かものをみてそれを心地よいと感じるとき、そこにはあるルールが存在する。それは、私たちが自然を見るとき、歴史的なものを見るとき、ある精密な機械を見るときに同じように感じることがあるかもしれない。ルールは日常にあふれている。これは、前田先生から教えていただいた言葉である。
ルールは日常にあふれる。
例えば自然界には多くのルールを見出せる。今日、生えている草や木は、地球に植物が生まれたときから進化を続け、現在に至る。それは子孫繁栄という本能によって、現在の環境に適合すべく進化を続けてきた、最も理にかなった形をしている。葉の葉脈を日にかざしてみたとき、葉の隅ずみまで満遍なく広がった葉脈は、美しいと言わざるを得ない形をしている。それは生きるために、少しでも多くの日光を得ようとする葉の進化の形であり、日光を最大限に得るための最も理想の形をしているのだ。フランク・ロイド・ライトは、建築を「自然から学べ」というように、彼は砂漠に生えたサボテンの形状を絶賛している。つまり、そこには自然の法則ともよべる、長い進化の歴史が生み出した、その土地の最も理にかなった形がなされ、我々はそれを見ることによって心地よさ、美しさを感じてしまうのである。
また、それは人間の生みだした工業製品にもいえる。腕時計の中身を見たことがあるだろうか?腕時計の、その小さな空間の中には、人類の努力の結晶ともいえる精密機械が詰まっている。刻々と正確な時間を刻むという高度な技術を、小さな腕時計の中に入れるというのは決して簡単に生まれたものではない。長い年月と多くの人々の知恵がつくり上げたものなのである。そこには、少しの無駄も許されない最も理にかなった形がなされている。ル・コルビュジエの著作「建築をめざして」のなかで、飛行機や車のその優れたデザイン性を述べている。また、ルイス・カーンは船が好きで、彼は船をイメージした作品を残している。多くの努力が生みだした工業製品は、無駄が徹底された理にかなった形だけが残され、デザインなしのデザインが自然と行われている。
そのような日常のあるルールは、建築に生かされるとき、すばらしい空間を生む。コルビュジエのロンシャン教会堂は、ニューヨーク郊外の砂浜で拾った巻貝のイメージからなされている。ヨコミゾマコトさんの富弘美術館は円形の連続が用いられ、前田先生のROSE邸にはコの字といったルールに基づき空間がつくり出されている。
先生は最後の方に、「何かで空間を考えるのではなく、単純なルールによる空間構成により、自然が空気をつくり出すようにしている」とおっしゃっていた。つまり、動かない建築に動く自然現象を空間に落とすことにより、空間を演出しているのだ。それは、ルールのみの形作りによる、形だけの建築になってしまう危うさを、前田先生の独自の理論に基づく空間構成なのだろう。
「建築の筋・人の筋」 04d7084 豊島 礼恵
『ハコ』
建築の筋・人の筋という言葉を、私は『ハコという名のルール』ではないかと考えた。それは建築という世界に限ってではなく、どのような仕事にも、学校にも、家庭にも、人がいる限り、人の数だけ存在する。縛られた境界であるが、ルールはいくつにも分けられ、何通りにも形は変化するし、重ねることも、含むことも出来る。私たちは、そのルールという縛られた空間の中に存在する一つの動力であると思う。人々はそのルールという小さな空間の中で、いかに発展していけるかが大切な行為であり、その場その場を支配するものが、自らのまたは、共同空間のルールをどれだけ理解できるかが鍵になっている。
前田さんは建築という世界の中に、さらに自らのルールというものを設け行動していて、前田さんのルールというものは、人々の共感を得られるものであり、人々の思考・思想をも変えてしまう。周囲にいる人間たちを、自らのルールの虜にしてしまうのだ。
前田さんの話を聞いて、私は家作りという建築を次のように解釈した。建築家と名のつく大きなハコ(ルール)に、いくつもの小さいハコ(色々な人間のルール)がくっついて何度も何度も変化していくことによって、もっと大きなハコへと変化していく。シンプルなハコ(アイデア)に意味が付け加えられていき、シンプルなハコの中にも空間とコア(核)が作られる。つまり、コアの回りにいくつもの空間が出来るのだ。その空間一つ一つがさらに共鳴することで纏まり、その纏まったものに、人の息吹が入ることによって、住宅へと変化するのだと。
建築家というハコと、依頼主という人のハコそれらは最初まったく違った形をしている。その相違をどれだけ同じものに出来るかが、建築家の腕の見せ所であると考える。依頼主の希望を取り入れながら、さらにそれらの一部を払拭・発展したところに答えができる。答えは一つではないし、様々な状況下で色々な答えが完成するであろう。全ての願いを一度聞いたうえで、自分の考えを相手にきちんと伝えるということが重要なことであり、重要であるからこそ、大変なことであると言える。その一連の作業を着々とこなせるようになって、初めて一人前の人間になれたと言えるのではないか。私は、その一連の作業をとり行う事が出来るのが、前田さんであると思う。だから前田さんの建築物を拝見した建築を勉強している学生に、「依頼人と建築家の中和を最適に考え作れる人ではないでしょうか?空気を理解出来る人。」、「緊張感と隙のない建築です。それでも安らげる理想的な家族の空間を作れる人。」、「独特の感性を持つ、建築界のまさに「カリスマ」ですね!」と言わせ、そうではない人々にも、「一生かけてかき集めた金で、自分の人生を託す事ができる、唯一の男。」、「勢いがあるよね!命を削って設計している。家とはそのぐらいの気持ちで設計して貰いたいよね。」という言葉を残してもらえるのではないかと思う。そんな風に人々から言ってもらえるような建築家に私もなりたいと思うし、憧れている人もたくさんいる。
全ては、「人と人」や「人と物」同士のルールから作られるものであり、そのルールが建築という世界を築き、左右する。どのような世界にも言えることであり、生きていくうえで大切なこと。そのことを忘れないでいたい。
第二回建築フォーラムは前田紀貞さんをお迎えして行われました。
フォーラム全体としては前田さんの作品を材料として進んで行きました。
今回説明して頂いた前田さんの作品は以下の通りです。
■H-PRO ・・・ 長方形が変化した形
■DEVICE#9 ・・・ 4コの四角をくりぬく
■FOX ・・・ 海が見えるきれいな景色を活かし、建築は主張しない
■ALICE ・・・ 四角いBoxにプールを差し込む
■FLAMINGO ・・・ コの字の組み合わせ
■WEB ・・・ 5コのCUBEを差して行く
■FUNES ・・・ ガラスinガラス
■BORZOI ・・・ 波の形、穴を開ける
■KNOCK OUT THE MOONLIGHT ・・・ 長い帯を巻いていく
■TANGO ・・・ 5コのリングの組み合わせ
■THE ROSE ・・・ プリンをくりぬく
■FONTANA ・・・ キャンパスに切り込みを入れていく
■MALIBU ・・・ 帯を基礎から上部までぐるぐる巻いていく
(■作品名 ・・・ 作品の特徴=ルール)
これらの作品に共通して言えることが、一つのルールを最初から最後まで一貫していると言うことです。
この『ルール』こそ、前田さんが一番主張されていたことでした。
「どんな建物に関しても1つのシンプルなルールを作り挑む、あとは自然が様々に作ってくれる。そんな空気感・建築システムが大切である。」という事をお話して下さいました。
その事に関してはフォーラム冒頭で竜安寺の石庭、また能面等を例に挙げて説明されたした。
竜安寺は前田さんの大好きな場所だそうです。この場所自体は確かにシンプルであるけれど、だからこそ自然が作り出す空間が素敵なのですね。
実際に竜安寺を訪れた人は良く分かると思いますがとても静かなで落ち着く場所です。
また能面はシンプルでありながら、光のあて方だけでこんなにも表情が変化します。
※光のあて方 左:正面 中央:上部 右:下部
たくさんの作品から前田さんの考え方を教えていただきましたが、ここではその中でも
BORZOI ,FONTANAの2つの作品を載せたいと思います。
■FONTANA
■BORZOI
(※写真上:外観、下:内部)
フォーラム途中では、映像を用いて作品を紹介してくださいました。前田さんの作品は全体的に外部空間を内部に引き込んでいる作品が多く感じられましたが、この様に映像を用いると内部と外部の絡み合った空間を実際に体験することが出来、より作品を理解しやすかったと思います。
お施主さんに対してもこの様にあらゆる手段でその建物に関して100%説明するそうです。この時間が非常に大切な時間であり、一番時間がかかるとおっしゃっていました。(このように施主に分かってもらうためのサービスは100%するということもおっしゃっていましたね。)
「施主に対して媚びている訳ではなく、自分の建築を実現させるため。」という事が非常に自分の中に残る言葉でした。
作品を通して、前田さんの建築に対する考え方を学びましたが、それはテーマにもあるように人間としての『前田紀貞』を学んだようでもありました。非常に濃い時間だったように思います。
貴重なお話をどうもありがとうございました。
※写真提供: 前田さん、 前田紀貞アトリエホームページより
レポート 渡邉研究室M1 M・E
写真撮影 渡邉研究室M1 Y・K
------------------------------------
前田紀貞
1960年 東京都生まれ
1985年 京都大学工学部建築学科卒業
1985年 大成建設設計本部入社
1990年 前田紀貞アトリエ主宰
------------------------------------
以下、学生のレポートです。
「建築の筋・人の筋」 04d7027 小野 裕美
設計の課題が出されたとき、私はとにかく悩む。コンセプトが決まっても、それを上手く形にすることができないのだ。敷地や関係や周りの環境との関係、建築と人との関係・・・ひとつの建物を設計するためには、考えければならないことが沢山ありすぎる。これらを考える上でのヒントになるのが、前田先生の言う「ルール」であり「筋を通す」ことだと思う。「四角い建物をくり貫く」というルール、「コの字の壁によって建物をつくる」というルール。建物ごとにルールは違うけれども、ルールによって建てられた建物は「潔い」感じがして、なんだかカッコイイ。例えば、開口部を開ける際にも、ルールから作られた開口部は無駄がない。もし、ルール以外の開口部を開ければ、ルールの存在が薄れてしまう。だから、ルールを決めた際は、とことんルールにこだわらないと、ルールの意味がなくなってしまう。この、「とことんこだわる」ことが、私の感じた「潔さ」であり、前田先生の言う「筋を通す」ことだと思った。そこで、自分が作ってきた建築は筋が通っていたか、と考えてみた。
3年前期の中期課題では、「雨の学校」という課題をやった。雨の日に傘を差した人々がごった返し、傘の花が咲いたようになる――そんな都会の風景をイメージして形を作っていった。また、傘から雨が流れる「雨垂れ」のイメージも表現したく、傘の屋根から雨が流れる様子を見せたかった。しかし、だんだん「傘」よりも「雨垂れ」や「雨粒」の表現が主なコンセプトとなっていき、「傘・雨垂れ・雨粒」これらのキーワードが頭の中でゴチャゴチャになってしまった。結果的に頭の中にあるさまざまな考えが整理できず、全てを入れ込んだ形になってしまったと思う。もっと自分の考えを整理し、明確なコンセプトを考えられたのではないか、もっとコンセプトと形の関係を分かり易くできたのではないか、と反省している。
前田先生のように「ルール」を考えることは、自分の考えを分かり易く表現する上でとても参考になると思った。実際に、前田先生の作る建築はとても分かり易く、四つの中庭をくり貫くルールからは、自然の介入によってシンプルな箱とルールにより一つの空間が変化していく様子がよく分かった。しかし、私はただ単に前田先生の真似をしてルールから建築を作っていくことはしたくない。ルールは筋を通すことの一例であり、私は「筋を通す」ということ自体を見習いたいと思う。前期の課題においても、もっとよく考え、自分の考えを貫くことが必要だったと思うし、そうすることによって、より良い建築が作り出せたと思う。
「筋を通す」ためには、強い意志が必要だと思う。建築に対して精一杯意やろうという意気込みがないと、筋は通せないと思う。建築を設計するときのみならず、自分の課題への取り組み方や、建築との向き合い方、さまざまな面において、まずは自分の筋を通すことから始めようと思った。
「ルールによる建築」 04D7035 木下 元
何かものをみてそれを心地よいと感じるとき、そこにはあるルールが存在する。それは、私たちが自然を見るとき、歴史的なものを見るとき、ある精密な機械を見るときに同じように感じることがあるかもしれない。ルールは日常にあふれている。これは、前田先生から教えていただいた言葉である。
ルールは日常にあふれる。
例えば自然界には多くのルールを見出せる。今日、生えている草や木は、地球に植物が生まれたときから進化を続け、現在に至る。それは子孫繁栄という本能によって、現在の環境に適合すべく進化を続けてきた、最も理にかなった形をしている。葉の葉脈を日にかざしてみたとき、葉の隅ずみまで満遍なく広がった葉脈は、美しいと言わざるを得ない形をしている。それは生きるために、少しでも多くの日光を得ようとする葉の進化の形であり、日光を最大限に得るための最も理想の形をしているのだ。フランク・ロイド・ライトは、建築を「自然から学べ」というように、彼は砂漠に生えたサボテンの形状を絶賛している。つまり、そこには自然の法則ともよべる、長い進化の歴史が生み出した、その土地の最も理にかなった形がなされ、我々はそれを見ることによって心地よさ、美しさを感じてしまうのである。
また、それは人間の生みだした工業製品にもいえる。腕時計の中身を見たことがあるだろうか?腕時計の、その小さな空間の中には、人類の努力の結晶ともいえる精密機械が詰まっている。刻々と正確な時間を刻むという高度な技術を、小さな腕時計の中に入れるというのは決して簡単に生まれたものではない。長い年月と多くの人々の知恵がつくり上げたものなのである。そこには、少しの無駄も許されない最も理にかなった形がなされている。ル・コルビュジエの著作「建築をめざして」のなかで、飛行機や車のその優れたデザイン性を述べている。また、ルイス・カーンは船が好きで、彼は船をイメージした作品を残している。多くの努力が生みだした工業製品は、無駄が徹底された理にかなった形だけが残され、デザインなしのデザインが自然と行われている。
そのような日常のあるルールは、建築に生かされるとき、すばらしい空間を生む。コルビュジエのロンシャン教会堂は、ニューヨーク郊外の砂浜で拾った巻貝のイメージからなされている。ヨコミゾマコトさんの富弘美術館は円形の連続が用いられ、前田先生のROSE邸にはコの字といったルールに基づき空間がつくり出されている。
先生は最後の方に、「何かで空間を考えるのではなく、単純なルールによる空間構成により、自然が空気をつくり出すようにしている」とおっしゃっていた。つまり、動かない建築に動く自然現象を空間に落とすことにより、空間を演出しているのだ。それは、ルールのみの形作りによる、形だけの建築になってしまう危うさを、前田先生の独自の理論に基づく空間構成なのだろう。
「建築の筋・人の筋」 04d7084 豊島 礼恵
『ハコ』
建築の筋・人の筋という言葉を、私は『ハコという名のルール』ではないかと考えた。それは建築という世界に限ってではなく、どのような仕事にも、学校にも、家庭にも、人がいる限り、人の数だけ存在する。縛られた境界であるが、ルールはいくつにも分けられ、何通りにも形は変化するし、重ねることも、含むことも出来る。私たちは、そのルールという縛られた空間の中に存在する一つの動力であると思う。人々はそのルールという小さな空間の中で、いかに発展していけるかが大切な行為であり、その場その場を支配するものが、自らのまたは、共同空間のルールをどれだけ理解できるかが鍵になっている。
前田さんは建築という世界の中に、さらに自らのルールというものを設け行動していて、前田さんのルールというものは、人々の共感を得られるものであり、人々の思考・思想をも変えてしまう。周囲にいる人間たちを、自らのルールの虜にしてしまうのだ。
前田さんの話を聞いて、私は家作りという建築を次のように解釈した。建築家と名のつく大きなハコ(ルール)に、いくつもの小さいハコ(色々な人間のルール)がくっついて何度も何度も変化していくことによって、もっと大きなハコへと変化していく。シンプルなハコ(アイデア)に意味が付け加えられていき、シンプルなハコの中にも空間とコア(核)が作られる。つまり、コアの回りにいくつもの空間が出来るのだ。その空間一つ一つがさらに共鳴することで纏まり、その纏まったものに、人の息吹が入ることによって、住宅へと変化するのだと。
建築家というハコと、依頼主という人のハコそれらは最初まったく違った形をしている。その相違をどれだけ同じものに出来るかが、建築家の腕の見せ所であると考える。依頼主の希望を取り入れながら、さらにそれらの一部を払拭・発展したところに答えができる。答えは一つではないし、様々な状況下で色々な答えが完成するであろう。全ての願いを一度聞いたうえで、自分の考えを相手にきちんと伝えるということが重要なことであり、重要であるからこそ、大変なことであると言える。その一連の作業を着々とこなせるようになって、初めて一人前の人間になれたと言えるのではないか。私は、その一連の作業をとり行う事が出来るのが、前田さんであると思う。だから前田さんの建築物を拝見した建築を勉強している学生に、「依頼人と建築家の中和を最適に考え作れる人ではないでしょうか?空気を理解出来る人。」、「緊張感と隙のない建築です。それでも安らげる理想的な家族の空間を作れる人。」、「独特の感性を持つ、建築界のまさに「カリスマ」ですね!」と言わせ、そうではない人々にも、「一生かけてかき集めた金で、自分の人生を託す事ができる、唯一の男。」、「勢いがあるよね!命を削って設計している。家とはそのぐらいの気持ちで設計して貰いたいよね。」という言葉を残してもらえるのではないかと思う。そんな風に人々から言ってもらえるような建築家に私もなりたいと思うし、憧れている人もたくさんいる。
全ては、「人と人」や「人と物」同士のルールから作られるものであり、そのルールが建築という世界を築き、左右する。どのような世界にも言えることであり、生きていくうえで大切なこと。そのことを忘れないでいたい。
by a-forum-hosei
| 2006-10-06 19:49
| 2006