2006年 09月 25日
【第一回】下吹越武人さん講演 |
テーマ「建築は都市をつくる」
第一回建築フォーラムが下吹越武人さんを迎えて行われました。
今回のテーマである「建築は都市をつくる」ということについて表参同潤会アパートの例から話が始まりました。
代表作である「和歌山市和歌の浦アート・キューブ」では、設計段階で現地に住み込み市民と交流をとり、意見交換などを経て設計に活かされたそうです。
繰り返された市民会議、市民参加の干潟のゴミ拾いなど、地域密着を得ての作品だと理解できました。また下吹越さんの人柄を感じるようなお話でした。
現在では銅板の色もいい感じに変わり風景になじんでいるそうです。
右:写真提供Nacasa&Partners
次に近年A.A.Eでは雑居ビル設計の仕事が多いということで、現在の日本の雑居ビルについてスライドを見せていただきながらお話がありました。
下吹越さんの作品で紹介していただいたのは以下の作品です。
・キラービル(写真左)
・キャットビル(写真右)
写真提供Nacasa&Partners
「ガラス張りのファサードに複数のテナントがそれぞれの顔を持つことはだらしない。デザイナー店舗+ファミリーレストランというようなおかしなバランスのファサードを持つ建築もできてしまっている現状。このようなことをコントロールできるのが建築家の仕事である。」
今回のテーマである「建築は都市をつくる」を強く感じられるメッセージだったと思います。
その他建築以外で「Ge-Line」「Ge-hut」(写真左)など緑を扱ったプロジェクトなどの紹介、最後に下吹越さんが最近沖縄で見られてきた座喜味城跡のお写真(写真右)を見せていただきました。沖縄に行った際には是非チェックしたいものですね。写真提供下吹越さん

下吹越さんには法政の3年生、M1と設計を教えていただいていますが、改めて普段なされているお仕事の話を聞かせていただけたのはよい機会だったと思います。
レポートM1 MM
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下吹越武人
1965年 広島県生まれ
1990年 横浜国立大学工学部建築学科/大学院修了
1990〜97 北川原温建築都市研究所
1997年 A.A.E.設立
現在、法政大学、明治大学、早稲田大学芸術学校非常勤講師
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以下学生のレポートを載せます。
『建築』 04d7114 水谷高規
建築家は神なのか?最近そんな事を考えた事がある。確かに、建築が都市や市民に与える影響は多大なものであると思う。支配者的な感覚を覚えるのも無理はない。しかし、建築とはもっと弱いものであり、建築家とはもっと低い存在であるのではないか。というか、そうあるべきなような気がする。
下吹越さんの建築に対する考え方が、まさにそうである。下吹越さんの代表作「和歌の浦アート・キューブ」は、2001年にプロポーザル方式によるコンペで第一位に選ばれたもので、その設計過程において、施設を利用する地域の人々が話し合いに参加し、ワークショップを重ねて作り上げられた。建物を一つのかたまりとして、周囲に無関係に考えるのではなく、機能や用途によって幾つかに分棟し、それぞれを配置しているのが、この計画の大きな特徴となっている。さらに、外壁の仕上げに銅や木を用いたこと、そうすることで、この建物は時の経過と共に街に馴染み、新たな風景や雰囲気を生みだすしている。素材とカタチが環境に呼応する様はとても美しいだろう。
建築は地面の上に建つ。そこには、自然があり、街があり、人がいる。歴史がある。人が生活する。様々な条件や問題を理解し、解決する事で建築はつくられるのであって、そこを少し操るのが建築家の役目なのではないだろうか。
下吹越さんの講義の中で、テナントビルの設計の話があった。田舎出の自分としては、あまり見慣れないせいもあって、下吹越さんの話で初めて気付く事が多かった。テナントビルの多くはガラス張り。そこにはマネキンや広告などによる過剰なまでの宣伝がなされ、建築家の意図など関係なしに、新たなファサードがつくられてしまっている。ファサードが都市の風景をつくる。都市の風景は建築家の手の届かないところで変化する。テナントビルの設計の難しさと、そこにおもしろさを感じた。
建築を3年間学んできて、最初は知りもしなかった事が魅力的に思えたり、逆に悪く思えたり。たくさんの考え方や方法、見せ方がある。そこに、正解はない。しかし全ては同じ源からうまれる。そんな気がする。
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『都市の意識』 04D7112 三浦 寛滋
「建築が都市をつくる。」
この言葉の1つの意味は建築そのものが物理的に都市を形作ってくことにある。連続的なファサードによる通りの形成、グリッドによる都市計画など建築が生活空間を縁取っていく。ヨーロッパの都市の町並みは既存の建築による統一されたファサードによって都市特有の雰囲気を作り出す。ファサードはスキンとして働き、内部の自由な活動を包み込む。つまり、建築は「器」として都市を形成していくものである。
もう一つの意味は建築を介して人が都市における生活を創造していくことにある。先生のおっしゃった和歌浦アートキューブのようにそこで行われる活動が外へ作用し、そこから人々がまた新たな活動を生み出していく。その建築があることによって新たな生活、都市が形成されていくのである。この場合、建築は「媒体」としての役目を果たすことになる。
私は現在の日本では、この両方の都市形成がなされてないと考える。私のこの夏のヨーロッパ訪問を通して、ヨーロッパの都市に見える市民の地域への愛着やこだわり、誇りが日本の市民には欠如しているように思える。区や市といった分割は市民にとって違う都市としての認識ではなく、便宜上の区分にすぎない。日本の都市は市民の手から離れていってしまっている状況にある。
もともと石造のヨーロッパと木造の日本の建築には積み上げられた歴史において差があったが、最も大きな転機は第二次世界大戦による歴史の焼失にある。都市は一旦リセットされ、一からのスタートを切るはめになった。日本は驚異的な復興をし、経済、技術は発展、この50年で経済大国と呼ばれるまで発展する。
しかし、都市においては復興とはいかなかった。欧米の技術を取り入れ、空いた土地にそれぞれが競い合うように建物をバラバラに建てていった。それまで積み上げてきた都市の歴史をリセットし、また新しい都市が作り上げられていく。猛烈な発展の末、出来上がった建築群を「都市」と呼ぶようになった。
旅の途中、私はヨーロッパのある意味で原始的な土着的な生活を目の当たりにして、日本の、東京の奇妙さに気づいた。どの国の人も「Tokyo is the most big city.」と皆、口をそろえて言う。確かに東京の高層ビル群はどの都市よりも大きなボリュームを持ち、電車に乗ればどこまでも高密な町並みが広がる。人の生活を豊かにする新しい技術次々に発明され、それらはヨーロッパのそれはるかに凌ぎ、惜しげもなく街中に浸透している。ヨーロッパから見ればまるで「未来」の世界だ。しかし、ヨーロッパの人々の、歴史の上に住み、信仰という最も大きなものが生活の中心にある暮らしに比べ、歴史が抜け落ち、特に信仰するもののない日本の文化は非常に貧しく、弱いものだ。人々には歴史や文化が自分達のものであるという意識はほとんどないだろう。東京はまるでトイレットペーパーのようだ。芯のない中空の文化の周りを経済、技術が取り巻き、都市が肥大化していった。芯の欠如は都市における「人」の不在を意味している。
今、都市をつくるという行為に必要なものは、新たな歴史ではないだろうか。それはその場所に住んでいる人の「この街は、私の街だ。」だったり、「自分の街をよくしよう。」という「意識」が生み出していくものだと思う。都市は再び市民の手の内で育っていくべきだ。
今、建築が「媒体」として都市に働きかける都市再生が必要とされている。
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「雑居都市」 04d7119宮本裕也
今日、わたしたちが目にする“都市”の姿はとても味気ないものになっている気がする。産業が発展し、情報社会となっていく過程で“都市”のあり方自体も工業発展のシステムと化しているように思える。そんな“都市”は人間の息吹が感じられない、画一化されたただのパターンでしかなくなっている。そんなシステムとしての“都市”をよく表している例として、テナントビルがあげられる。その多くは、フロアー部分を少しでも広く、階段などの諸機能はできるだけコンパクトにと、産業効率を最重要視したものがほとんどだ。そのような特長にも見られる、決して永続的ではない、いわば代理店的な役割すら持った建物によって構成された都市を、建築の力でどう変えていけるのか、その可能性を一つ一つの建築のつぶの単位から考えていくべきだと思う。
近頃、リノベーションやコンバージョンなど、一種の都市再生が起こっている。もともと別の用途で設計されたものに新たないのちを吹き込むのだ。講演の話にも出たキャットストリートのように、特に小さな民家のコンバージョンなどには、その中に新たな息吹が生まれ、色がでる。そして、その小さなつぶが集まってストリートに本当の意味でのちいさな“都市”をつくっている。はじめから貸し部屋としてデザインするテナントビルを、借り手のアイデンティティの宿る、いのち在るものにできるかというのが現代の都市に対して、最も現代的なアプローチであるように思える。
「建築家がつくりたいものを単体でつくってどうだ!っていう時代はとっくに終わった。」という言葉があったように、単体を、“全体”の中の“部分”としてとらえデザインしていくことがこれからの都市づくりに大切であることは言うまでもないが、講演を聴いて感じたことは、建築には使い手がいて、もちろん建築そのものもそうだが、建築を通して使い手が都市をつくるものなのだということ。そして、それを促すことのできる建築は決して使い手任せではなく、たくさんのイメージやメッセージの詰まったものなのだ。その意味で、講演で紹介されたキラービルが当初予想された貸し値の3~4倍の値をつけたというのは、決して不動産業的な成果などではないことが感じられる。あくまでも、建築家が代理店的な仕事ではなく、さまざまな角度から生産的なアプローチをしていくことで、使い手に対してなにかを発信していけるのではないかと思った。そしてその手法として、光、風、植物、などと素材の相互作用を考えることも建築家の仕事なのだと感じた。
講演の中でテナントビルが雑居ビルと呼ばれていたことは、いのちの宿っていない単なる消費的なイメージを連想させた。言ってみれば、味気ないと感じるこの都市は血の通わない“雑居都市”なのかもしれない。しかし、決して道具的でないはずの人間的な事象の起こりうる最も小さな単位、“建築のつぶ”から生産的な投げかけをしていくことが建築に携わるひとの役目なのではないか。そしてそれは、全体をはじめからつくるのではなく、部分から再構築していくところにその本質的な意味があり、また魅力がある。この“雑居都市”を入居希望者殺到の人気都市にできるのは経済的発展などではないのだ。

今回のテーマである「建築は都市をつくる」ということについて表参同潤会アパートの例から話が始まりました。

繰り返された市民会議、市民参加の干潟のゴミ拾いなど、地域密着を得ての作品だと理解できました。また下吹越さんの人柄を感じるようなお話でした。
現在では銅板の色もいい感じに変わり風景になじんでいるそうです。
右:写真提供Nacasa&Partners

下吹越さんの作品で紹介していただいたのは以下の作品です。
・キラービル(写真左)
・キャットビル(写真右)
写真提供Nacasa&Partners
「ガラス張りのファサードに複数のテナントがそれぞれの顔を持つことはだらしない。デザイナー店舗+ファミリーレストランというようなおかしなバランスのファサードを持つ建築もできてしまっている現状。このようなことをコントロールできるのが建築家の仕事である。」
今回のテーマである「建築は都市をつくる」を強く感じられるメッセージだったと思います。
その他建築以外で「Ge-Line」「Ge-hut」(写真左)など緑を扱ったプロジェクトなどの紹介、最後に下吹越さんが最近沖縄で見られてきた座喜味城跡のお写真(写真右)を見せていただきました。沖縄に行った際には是非チェックしたいものですね。写真提供下吹越さん

下吹越さんには法政の3年生、M1と設計を教えていただいていますが、改めて普段なされているお仕事の話を聞かせていただけたのはよい機会だったと思います。
レポートM1 MM
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下吹越武人

1965年 広島県生まれ
1990年 横浜国立大学工学部建築学科/大学院修了
1990〜97 北川原温建築都市研究所
1997年 A.A.E.設立
現在、法政大学、明治大学、早稲田大学芸術学校非常勤講師
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以下学生のレポートを載せます。
『建築』 04d7114 水谷高規
建築家は神なのか?最近そんな事を考えた事がある。確かに、建築が都市や市民に与える影響は多大なものであると思う。支配者的な感覚を覚えるのも無理はない。しかし、建築とはもっと弱いものであり、建築家とはもっと低い存在であるのではないか。というか、そうあるべきなような気がする。
下吹越さんの建築に対する考え方が、まさにそうである。下吹越さんの代表作「和歌の浦アート・キューブ」は、2001年にプロポーザル方式によるコンペで第一位に選ばれたもので、その設計過程において、施設を利用する地域の人々が話し合いに参加し、ワークショップを重ねて作り上げられた。建物を一つのかたまりとして、周囲に無関係に考えるのではなく、機能や用途によって幾つかに分棟し、それぞれを配置しているのが、この計画の大きな特徴となっている。さらに、外壁の仕上げに銅や木を用いたこと、そうすることで、この建物は時の経過と共に街に馴染み、新たな風景や雰囲気を生みだすしている。素材とカタチが環境に呼応する様はとても美しいだろう。
建築は地面の上に建つ。そこには、自然があり、街があり、人がいる。歴史がある。人が生活する。様々な条件や問題を理解し、解決する事で建築はつくられるのであって、そこを少し操るのが建築家の役目なのではないだろうか。
下吹越さんの講義の中で、テナントビルの設計の話があった。田舎出の自分としては、あまり見慣れないせいもあって、下吹越さんの話で初めて気付く事が多かった。テナントビルの多くはガラス張り。そこにはマネキンや広告などによる過剰なまでの宣伝がなされ、建築家の意図など関係なしに、新たなファサードがつくられてしまっている。ファサードが都市の風景をつくる。都市の風景は建築家の手の届かないところで変化する。テナントビルの設計の難しさと、そこにおもしろさを感じた。
建築を3年間学んできて、最初は知りもしなかった事が魅力的に思えたり、逆に悪く思えたり。たくさんの考え方や方法、見せ方がある。そこに、正解はない。しかし全ては同じ源からうまれる。そんな気がする。
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『都市の意識』 04D7112 三浦 寛滋
「建築が都市をつくる。」
この言葉の1つの意味は建築そのものが物理的に都市を形作ってくことにある。連続的なファサードによる通りの形成、グリッドによる都市計画など建築が生活空間を縁取っていく。ヨーロッパの都市の町並みは既存の建築による統一されたファサードによって都市特有の雰囲気を作り出す。ファサードはスキンとして働き、内部の自由な活動を包み込む。つまり、建築は「器」として都市を形成していくものである。
もう一つの意味は建築を介して人が都市における生活を創造していくことにある。先生のおっしゃった和歌浦アートキューブのようにそこで行われる活動が外へ作用し、そこから人々がまた新たな活動を生み出していく。その建築があることによって新たな生活、都市が形成されていくのである。この場合、建築は「媒体」としての役目を果たすことになる。
私は現在の日本では、この両方の都市形成がなされてないと考える。私のこの夏のヨーロッパ訪問を通して、ヨーロッパの都市に見える市民の地域への愛着やこだわり、誇りが日本の市民には欠如しているように思える。区や市といった分割は市民にとって違う都市としての認識ではなく、便宜上の区分にすぎない。日本の都市は市民の手から離れていってしまっている状況にある。
もともと石造のヨーロッパと木造の日本の建築には積み上げられた歴史において差があったが、最も大きな転機は第二次世界大戦による歴史の焼失にある。都市は一旦リセットされ、一からのスタートを切るはめになった。日本は驚異的な復興をし、経済、技術は発展、この50年で経済大国と呼ばれるまで発展する。
しかし、都市においては復興とはいかなかった。欧米の技術を取り入れ、空いた土地にそれぞれが競い合うように建物をバラバラに建てていった。それまで積み上げてきた都市の歴史をリセットし、また新しい都市が作り上げられていく。猛烈な発展の末、出来上がった建築群を「都市」と呼ぶようになった。
旅の途中、私はヨーロッパのある意味で原始的な土着的な生活を目の当たりにして、日本の、東京の奇妙さに気づいた。どの国の人も「Tokyo is the most big city.」と皆、口をそろえて言う。確かに東京の高層ビル群はどの都市よりも大きなボリュームを持ち、電車に乗ればどこまでも高密な町並みが広がる。人の生活を豊かにする新しい技術次々に発明され、それらはヨーロッパのそれはるかに凌ぎ、惜しげもなく街中に浸透している。ヨーロッパから見ればまるで「未来」の世界だ。しかし、ヨーロッパの人々の、歴史の上に住み、信仰という最も大きなものが生活の中心にある暮らしに比べ、歴史が抜け落ち、特に信仰するもののない日本の文化は非常に貧しく、弱いものだ。人々には歴史や文化が自分達のものであるという意識はほとんどないだろう。東京はまるでトイレットペーパーのようだ。芯のない中空の文化の周りを経済、技術が取り巻き、都市が肥大化していった。芯の欠如は都市における「人」の不在を意味している。
今、都市をつくるという行為に必要なものは、新たな歴史ではないだろうか。それはその場所に住んでいる人の「この街は、私の街だ。」だったり、「自分の街をよくしよう。」という「意識」が生み出していくものだと思う。都市は再び市民の手の内で育っていくべきだ。
今、建築が「媒体」として都市に働きかける都市再生が必要とされている。
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「雑居都市」 04d7119宮本裕也
今日、わたしたちが目にする“都市”の姿はとても味気ないものになっている気がする。産業が発展し、情報社会となっていく過程で“都市”のあり方自体も工業発展のシステムと化しているように思える。そんな“都市”は人間の息吹が感じられない、画一化されたただのパターンでしかなくなっている。そんなシステムとしての“都市”をよく表している例として、テナントビルがあげられる。その多くは、フロアー部分を少しでも広く、階段などの諸機能はできるだけコンパクトにと、産業効率を最重要視したものがほとんどだ。そのような特長にも見られる、決して永続的ではない、いわば代理店的な役割すら持った建物によって構成された都市を、建築の力でどう変えていけるのか、その可能性を一つ一つの建築のつぶの単位から考えていくべきだと思う。
近頃、リノベーションやコンバージョンなど、一種の都市再生が起こっている。もともと別の用途で設計されたものに新たないのちを吹き込むのだ。講演の話にも出たキャットストリートのように、特に小さな民家のコンバージョンなどには、その中に新たな息吹が生まれ、色がでる。そして、その小さなつぶが集まってストリートに本当の意味でのちいさな“都市”をつくっている。はじめから貸し部屋としてデザインするテナントビルを、借り手のアイデンティティの宿る、いのち在るものにできるかというのが現代の都市に対して、最も現代的なアプローチであるように思える。
「建築家がつくりたいものを単体でつくってどうだ!っていう時代はとっくに終わった。」という言葉があったように、単体を、“全体”の中の“部分”としてとらえデザインしていくことがこれからの都市づくりに大切であることは言うまでもないが、講演を聴いて感じたことは、建築には使い手がいて、もちろん建築そのものもそうだが、建築を通して使い手が都市をつくるものなのだということ。そして、それを促すことのできる建築は決して使い手任せではなく、たくさんのイメージやメッセージの詰まったものなのだ。その意味で、講演で紹介されたキラービルが当初予想された貸し値の3~4倍の値をつけたというのは、決して不動産業的な成果などではないことが感じられる。あくまでも、建築家が代理店的な仕事ではなく、さまざまな角度から生産的なアプローチをしていくことで、使い手に対してなにかを発信していけるのではないかと思った。そしてその手法として、光、風、植物、などと素材の相互作用を考えることも建築家の仕事なのだと感じた。
講演の中でテナントビルが雑居ビルと呼ばれていたことは、いのちの宿っていない単なる消費的なイメージを連想させた。言ってみれば、味気ないと感じるこの都市は血の通わない“雑居都市”なのかもしれない。しかし、決して道具的でないはずの人間的な事象の起こりうる最も小さな単位、“建築のつぶ”から生産的な投げかけをしていくことが建築に携わるひとの役目なのではないか。そしてそれは、全体をはじめからつくるのではなく、部分から再構築していくところにその本質的な意味があり、また魅力がある。この“雑居都市”を入居希望者殺到の人気都市にできるのは経済的発展などではないのだ。
by a-forum-hosei
| 2006-09-25 20:00
| 2006