2006年 07月 24日
パブリックアート展フォーラム |
7月7日、建築会館ホールにて「空間に生きる日本のパブリックアート」展記念フォーラムが開催された。
パネラーには酒井忠康氏(世田谷美術館館長)、細田雅春氏(佐藤総合計画副社長)、渡邉真理氏(法政大学教授)、水沢勉氏(神奈川県立近代美術館企画課長)、たほりつこ氏(東京藝術大学先端芸術表現科教授)を迎え、吉崎元章氏(札幌芸術の森美術館学芸普及課長)の司会により会が進行。
パネラーの方々が、それぞれの一押しのパブリックアートの作品を紹介しながらパブリックアートとはなにか?というテーマに対しての考えを発表、5人によるトークセッションでは、それらを元にさらにパブリックアートについて議論が進んだ。

パネラー全員に共通していたことは、紹介されるパブリックアートとしての作品が海外の作品、また日本国内のものであっても地方にある作品ばかりだということ。
そして、パブリックアートはそもそもアート・オブ・パブリックスペースではないという見解である。現在の日本の都心においてはこの“アート・オブ・パブリックスペース”が散乱してはいるものの、それはパブリックアートとは呼べないのではないか。このように日本の都心にパブリックアートが存在していないということが今後の日本におけるパブリックアートの課題であるのではないか、という意見とともに会は終了した。

パブリックアートとは一体何なのだろうか。
今回のフォーラムに参加し、パネラーの方々の紹介によって多くのパブリックアート、またその作品に対する意見に触れたものの、未だ私の中ではパブリックアートというものが何であるのかはっきりとした答えが出ない。
そもそもパブリックアートとはアート全般と同じで、人それぞれ考えること、感じ取るものは違うと思う。(作家にはその作品意図があるであろうが。)
だから今回の結論が万人に正しいと断言できないと私は思う。
きっと見る人によっては都心にも素晴らしいパブリックアートがころがっているのかもしれない。
※写真:会場風景(上段:左から吉崎氏、渡邉氏、たほ氏
下段:左から酒井氏、細田氏、水沢氏)
写真・文章: 榎本舞(法政大学大学院)
終了後、パネラー方々に今回のフォーラムに参加し、他のパネラーの方々のお話を聞いてどういったことを感じたか、また終了した今、さらにお話したいことなどをお聞きしました。
酒井忠康さん
「今は日本国内のパブリックアートに関する基礎台帳のようなものを作っている段階であるが、パブリックアートを拾い出していたらきりがなくなってしまう。そこで、いろいろなレベルで考えている。
今回の試みはそれらを一度展覧会で発表し、そして総合的にいろいろな観点から再度、みんなでパブリックアートを考えてみようというもの。
パブリックアートとは何かと考えることが遂にスタートしたという感じ。
世界基準で日本のパブリックアートを考えていきたいし、今後この展覧会を世界に持っていけるといいと思う。」
たほりつこさん
「パブリックアートをめくる問題点を話すことはあまりないので、今日はそのきっかけになったのではないか。そういった点は非常に良かったと思う。
また今日は、建築関係、芸術関係の方々がいてかなりコアな部分が話せたのではないかと思う。」
細田雅春さん
「私は建築家であり、アーティストの方とは立場は違うけれど、パブリックアートに関して、他のパネラーの方々と考えていることに違和感といったものを感じることがなかった。」
水沢勉さん
「現在のパブリックアートを語るに忘れてはならないのが、エドゥアルド・チリーダであり、その最後の作品であるベルリンの新首相官邸前の庭に作られた“ベルリン”という鉄の作品はチリーダの代表作である。20tもの鉄の作品は非常に存在感を持っているとともに空虚な形を造形したものである。
また、イスラエルのウルマンの作品は空虚を表している作品であり、この両者がこれからのパブリックアートの可能性を持つものである。」
今回、貴重なお話をしてくださったパネラーの皆様、どうもありがとうございました。
パネラーには酒井忠康氏(世田谷美術館館長)、細田雅春氏(佐藤総合計画副社長)、渡邉真理氏(法政大学教授)、水沢勉氏(神奈川県立近代美術館企画課長)、たほりつこ氏(東京藝術大学先端芸術表現科教授)を迎え、吉崎元章氏(札幌芸術の森美術館学芸普及課長)の司会により会が進行。
パネラーの方々が、それぞれの一押しのパブリックアートの作品を紹介しながらパブリックアートとはなにか?というテーマに対しての考えを発表、5人によるトークセッションでは、それらを元にさらにパブリックアートについて議論が進んだ。

パネラー全員に共通していたことは、紹介されるパブリックアートとしての作品が海外の作品、また日本国内のものであっても地方にある作品ばかりだということ。
そして、パブリックアートはそもそもアート・オブ・パブリックスペースではないという見解である。現在の日本の都心においてはこの“アート・オブ・パブリックスペース”が散乱してはいるものの、それはパブリックアートとは呼べないのではないか。このように日本の都心にパブリックアートが存在していないということが今後の日本におけるパブリックアートの課題であるのではないか、という意見とともに会は終了した。

パブリックアートとは一体何なのだろうか。
今回のフォーラムに参加し、パネラーの方々の紹介によって多くのパブリックアート、またその作品に対する意見に触れたものの、未だ私の中ではパブリックアートというものが何であるのかはっきりとした答えが出ない。
そもそもパブリックアートとはアート全般と同じで、人それぞれ考えること、感じ取るものは違うと思う。(作家にはその作品意図があるであろうが。)
だから今回の結論が万人に正しいと断言できないと私は思う。
きっと見る人によっては都心にも素晴らしいパブリックアートがころがっているのかもしれない。
※写真:会場風景(上段:左から吉崎氏、渡邉氏、たほ氏
下段:左から酒井氏、細田氏、水沢氏)
写真・文章: 榎本舞(法政大学大学院)
終了後、パネラー方々に今回のフォーラムに参加し、他のパネラーの方々のお話を聞いてどういったことを感じたか、また終了した今、さらにお話したいことなどをお聞きしました。
酒井忠康さん
「今は日本国内のパブリックアートに関する基礎台帳のようなものを作っている段階であるが、パブリックアートを拾い出していたらきりがなくなってしまう。そこで、いろいろなレベルで考えている。
今回の試みはそれらを一度展覧会で発表し、そして総合的にいろいろな観点から再度、みんなでパブリックアートを考えてみようというもの。
パブリックアートとは何かと考えることが遂にスタートしたという感じ。
世界基準で日本のパブリックアートを考えていきたいし、今後この展覧会を世界に持っていけるといいと思う。」
たほりつこさん
「パブリックアートをめくる問題点を話すことはあまりないので、今日はそのきっかけになったのではないか。そういった点は非常に良かったと思う。
また今日は、建築関係、芸術関係の方々がいてかなりコアな部分が話せたのではないかと思う。」
細田雅春さん
「私は建築家であり、アーティストの方とは立場は違うけれど、パブリックアートに関して、他のパネラーの方々と考えていることに違和感といったものを感じることがなかった。」
水沢勉さん
「現在のパブリックアートを語るに忘れてはならないのが、エドゥアルド・チリーダであり、その最後の作品であるベルリンの新首相官邸前の庭に作られた“ベルリン”という鉄の作品はチリーダの代表作である。20tもの鉄の作品は非常に存在感を持っているとともに空虚な形を造形したものである。
また、イスラエルのウルマンの作品は空虚を表している作品であり、この両者がこれからのパブリックアートの可能性を持つものである。」
今回、貴重なお話をしてくださったパネラーの皆様、どうもありがとうございました。
by a-forum-hosei
| 2006-07-24 22:52
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