2009年 02月 01日
第7回 宮崎桂さん |
建築フォーラム 11月17日
サインと建築のほどよい関係 KMD inc/ 宮崎桂

今回の建築フォーラムは、普段身近な場所でも多く見られるが、あまり意識して見ていなかった「サイン」というものを制作者の視点からいろいろ解説して頂きました。講演の内容は宮崎さんのドイツで発見してきたサイン紹介と、自身のサイン計画を交互に発表していき、作品の共通性や意図というのを教えて頂きました。
*「kolumba」「allianz arena」は旅行での写真、それ以外は宮崎さんの作品となっています


「KOLUMBA」
ドイツのケルンにある、もとは聖コルンバ教会を改装した美術館です。ピーターズントー(Peter Zumthor)が設計した建物でサインが非常に少ないことが特徴だそうです。


・ 「京都国立博物館」、「千鳥ヶ淵戦没者苑(2003年)」
谷口建築設計研究所設計の建物のサイン計画です。設計者の意図を読み解き、シンプルさということをキーワードにされたそうです。文字に使う素材等を吟味しデザインされたそうです。


「ALLIANZ ARENA」
ミュンヘンにあるヘルツォーク・ド・ムーロン(Herzog & de Meuron)設計の「ALLIANZ ARENA」は遠くから見てもわかるように非常に大きなサインです。内部のサインはペイントを躯体に直書きしてあります。


・「TAG:サイン計画 (2000年)」
山口県にあるオフィスビルのサイン計画です。巨大な文字が視界に飛び込んできます。ファサードのガラス面にもシート状でサインがあり、ベンチも文字を使った造形となっており、建築のシンプルさとサインのシンプルさが一体的に感じられるようになっていました。


・「道の駅仁保の郷 (2000年)」


「Qiball (2007年)」
千葉県にある日建設計の複合施設です。4つの専用施設に専用エレベーターでアクセスするためにサインの役割が重要だったそうです。設計者と計画していくなかで実現できたそうです。


「床と壁の連続サイン (2002年)」


「多摩大学のグローバルスタディズ学部(2007年)」
神奈川県藤沢市にある多摩大学新設のグローバルスタディズ学部、渡辺真理+ADH設計のサイン計画です。案内と誘導のサインとともに英語で表記された言葉が見られます。


「東京国際フォーラム (1966年)」
ラファエル・ヴィニオリ設計の東京国際フォーラムにおけるサイン計画です。吊り形式のサインと図が白、地が黒というサインは当時珍しいものだったと紹介して頂きました。サイン計画はあとから取り付けるのではなく、設計の段階から設計者とコミュニケーションを取りながら決めていくそうです

「電通本社ビル (2002年)」
ジャン・ヌーベル設計の電通本社ビルにおけるサイン計画です。「移ろい」を表すべく柱の色がグラデーションに変化していく中でサインを対応させたり、透明から不透明に変わっていくようなデザインが建物と同調しています。
宮崎さん曰く、サインというのはサインが主張しすぎてもいけないし、目立たなくても駄目。場所を示すだけじゃなく時と場合により、その施設に求められてるものを表記することが大事だということをおっしゃっていました。
さらにサインは建築と相互でよくならないといいものができないそうです。サインもいい、建築もよければいい関係は築くことができるそうです。
建築の見え方、使い方はサインによって大きく変わり、場に応じたサインを読み解いていくことが大切なのではないかと感じました。今回は建築に身近なサインというものの色々な形式を教えて頂きました。
宮崎さんご講演ありがとうございました。
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以下、学生のレポートです。
程よい関係はどれくらいなのか??? 06D7091 原田 友絵
今まで建築の中でサインに注目したことはなかったが、確かに私たちは特にデパートに買い物に行ったときなどどこに何の売り場があるのか、トイレやエレベーターの場所などかなりの情報をサインに頼っていると思う。そしてそのサインの在り方によって建築内部の印象は大きく左右されると感じることが多いことは今までも感じていた。今回の講義のテーマである「サインと建築の程よい関係」とはどんなことなのだろうか。私個人の意見では程よい関係性とはその施設ごとに決められるものでも、サインを作る人によって決められるものでもないと思う。しかし「その施設を利用する人」という大きなくくりによって決定されるものでもないと思う。それは十人十色でありこれだと決めるのがとても難しいことのように感じた。講義の初めに宮崎さんが紹介してくださったKOLUMBAでは入場料、どこがチケット売り場なのか、作品の説明書きもないということだった。美術館側の意図するところは「いらない情報は出さない」ということであったが果たしてそれが「いらない情報」なのだろうか?確かにやたらとサインが多い施設では建築の中で文字がうるさいような印象を受けることはよくあるが、美術館では作品だけを見ても作者の主張や考えが全く理解できないことが多い。これが、ただシンプルな空間を作りたいからなのかそれとも入館者の立場に立っていらない情報と判断したのか疑問だと思う。実際にKOLUMBAに行ったことがあるわけではないので断定はできないが少なくともわたしはKOLUMBAの中でサインと建築が程良く存在しているようには思えない。宮崎さんも講義の中でサインをつくる側はどこに何があるのか分からないと言われてはならないとおっしゃっていた。過剰に表示をすることは建築の中で大量の情報が氾濫しているような印象を作り出してしまうと思う。だが利用者が求める最低限の情報を提供することは程よい関係には不可欠だと思う。
昨年、友人とニューヨークのメトロポリタン美術館に行ったときに表示がわかりずらく、かなりイライラした。ここでは情報量の不足というよりも情報の提供の仕方に問題があるように思った。建築内部が複雑なつくりであることに加え地図がわかりずらかったように思う。途中で目的のものを見つけるのを諦めてしまったほどであった。あまり意識することはないがサインは建築内部での行動や心理に密接に関わっていると感じた。宮崎さんのようにサインを専門に考える人がいるとは考えてみたことはなかったが、確かに情報をすっきりと整理して提供してくれる施設は初めて訪れた場合でも動きやすく心地よく過ごすことができる。電通ビルの例にもあったが更にそのサインのデザインが施設の印象と合っていると特別凝ったデザインでなくても私たちは「なんだかおしゃれだな」という印象を持つと思う。サインはその施設のイメージを決定づける大事な役割をはたしているとおもった。内部空間に関してもそうであるが、看板や外部に表示されるサインを大きな役割をはたしており例えば「スターバックスコーヒー」や「マクドナルド」と言われれば大部分のひとがその文字をぼんやりとでも想像できる。人の記憶に働きかけ、思い出させることができるサインは人と程よい関係で存在しているサインではないだろうか。今回の講義ではただ壁に書かれたサインだけでなくポールが動いたり立体的な矢印のサインが紹介されていた。また、書いてあるだけのものでも壁から床にかけ矢印が描かれているものもあり、ただ壁に書いてあるものに比べ躍動感があると思った。実際にポールが動いているようなものより書いてあるだけなのに動きがあるものは不思議な力があり、人の心に訴えかけるような効果があると思った。程よい関係性かは分からないが興味深いと思う。サインと建築の程よい関係は簡単には決められるものでないと感じた。だからこそ面白いと思う。
「イージーに」 〜サインと建築のほどよい関係 06D7076 中條貴彰
この前新宿の東急ビルで、おばさんたちが建物の案内板を三秒くらいしか見ていないにも関わらず、
「なにこれ、全然わからないわ~」
「ほんとね~誰かに聞いちゃいましょ、行きましょ行きましょ」
などと言ってそそくさと案内板の前を通り過ぎていくのを見ました。どんなにわかりやすく簡略化されたサインも、最速を極めんとする屈強なるおばさん達には通じないのではないかな、と不安を感じた瞬間でした。
そんなことを思いだしながら今回の宮崎先生の講演を聞いていたのですが、私達が普段目にするようなサインとは一味ちがった数々のサインを見せていただく中で、サインと建築のもつ関係性をはじめて感じたように思います。普段からサインというものを意識していなかったわけではないのですが、サインが建築とどう関係しているのかというのはまったくと言っていいほど意識したことがありませんでした。
宮崎先生の紹介してくださったサインと建築の様々な関係はとても興味深いものでした。KOLUMBAの美術館のようにサインを徹底的に減らしたものは、建築に対してサインがあまり主張しない代わりに、サインがもつ文字本来の魅力を引き出しているように思いましたし、office『Tag』は建築とサインとが一体となって存在を互いに強調しあう関係がそこには生まれているように思いました。さらにTagの場合、tagの文字が家具として三次元的に空間にあらわれることにより、二次元的なサインにくらべて、『Tag』という建築に統一感を生み出すための、いわゆる装置的サインにもなっているように感じました。
同じ三次元的なサインでも床壁一体のサインはこれとは違い、壁=情報、床=誘導という役割分担がなされているユニークなデザインだなと思いました。また『Tag』のそれとは違いこのサインは建築に統一感を生むようなものではなくて、見る人にわかりやすくという意図が伝わってきました。そのせいか建築に対してサインがもつ存在感が強いように感じ、建築を選ぶサインだとも感じました。
そして宮崎先生が言っていた矢印と建築は切っても切り離せない関係にあるという言葉は、なによりサインは人のためにあるという事と深く関係しているのだと思いました。そして矢印というサインがどれだけ建築と調和し、人々をわかりやすく誘導できるのかという事が冒頭でのべたような、屈強なおばちゃん達を容易に誘導するために必要なことのように感じました。むしろそれしかないのではとさえ思いました。
サインは建築内だけでなく、現在複雑化する都市の中でもかかせないものとなっています。それにたいしてより複雑になってしまいがちなサインを生み出すのではなく、見ればわかる、そんなサインを私たちは求めています。その中で建築、あるいは都市とサインのほどよい関係を見つけ出していくことの難しさを私は今回の講演を通して感じました。矢印のようにトイレのマークや、パーキングなど客観的に見て誰もが理解できるようなサインが少しずつ認識されてきたように、少し複雑になっただけでサインを見ることすらあきらめてしまう屈強なるおばちゃん達をもうならせるようなサインが増えていくことを私は楽しみにしています。
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DATE : 2008年11月17日
レポート W-studio (テクスト:塚田、ブログ作成:新倉)
写真提供 宮崎 桂
サインと建築のほどよい関係 KMD inc/ 宮崎桂

今回の建築フォーラムは、普段身近な場所でも多く見られるが、あまり意識して見ていなかった「サイン」というものを制作者の視点からいろいろ解説して頂きました。講演の内容は宮崎さんのドイツで発見してきたサイン紹介と、自身のサイン計画を交互に発表していき、作品の共通性や意図というのを教えて頂きました。
*「kolumba」「allianz arena」は旅行での写真、それ以外は宮崎さんの作品となっています


「KOLUMBA」
ドイツのケルンにある、もとは聖コルンバ教会を改装した美術館です。ピーターズントー(Peter Zumthor)が設計した建物でサインが非常に少ないことが特徴だそうです。


・ 「京都国立博物館」、「千鳥ヶ淵戦没者苑(2003年)」
谷口建築設計研究所設計の建物のサイン計画です。設計者の意図を読み解き、シンプルさということをキーワードにされたそうです。文字に使う素材等を吟味しデザインされたそうです。


「ALLIANZ ARENA」
ミュンヘンにあるヘルツォーク・ド・ムーロン(Herzog & de Meuron)設計の「ALLIANZ ARENA」は遠くから見てもわかるように非常に大きなサインです。内部のサインはペイントを躯体に直書きしてあります。


・「TAG:サイン計画 (2000年)」
山口県にあるオフィスビルのサイン計画です。巨大な文字が視界に飛び込んできます。ファサードのガラス面にもシート状でサインがあり、ベンチも文字を使った造形となっており、建築のシンプルさとサインのシンプルさが一体的に感じられるようになっていました。


・「道の駅仁保の郷 (2000年)」


「Qiball (2007年)」
千葉県にある日建設計の複合施設です。4つの専用施設に専用エレベーターでアクセスするためにサインの役割が重要だったそうです。設計者と計画していくなかで実現できたそうです。


「床と壁の連続サイン (2002年)」


「多摩大学のグローバルスタディズ学部(2007年)」
神奈川県藤沢市にある多摩大学新設のグローバルスタディズ学部、渡辺真理+ADH設計のサイン計画です。案内と誘導のサインとともに英語で表記された言葉が見られます。


「東京国際フォーラム (1966年)」
ラファエル・ヴィニオリ設計の東京国際フォーラムにおけるサイン計画です。吊り形式のサインと図が白、地が黒というサインは当時珍しいものだったと紹介して頂きました。サイン計画はあとから取り付けるのではなく、設計の段階から設計者とコミュニケーションを取りながら決めていくそうです

「電通本社ビル (2002年)」
ジャン・ヌーベル設計の電通本社ビルにおけるサイン計画です。「移ろい」を表すべく柱の色がグラデーションに変化していく中でサインを対応させたり、透明から不透明に変わっていくようなデザインが建物と同調しています。
宮崎さん曰く、サインというのはサインが主張しすぎてもいけないし、目立たなくても駄目。場所を示すだけじゃなく時と場合により、その施設に求められてるものを表記することが大事だということをおっしゃっていました。
さらにサインは建築と相互でよくならないといいものができないそうです。サインもいい、建築もよければいい関係は築くことができるそうです。
建築の見え方、使い方はサインによって大きく変わり、場に応じたサインを読み解いていくことが大切なのではないかと感じました。今回は建築に身近なサインというものの色々な形式を教えて頂きました。
宮崎さんご講演ありがとうございました。
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以下、学生のレポートです。
程よい関係はどれくらいなのか??? 06D7091 原田 友絵
今まで建築の中でサインに注目したことはなかったが、確かに私たちは特にデパートに買い物に行ったときなどどこに何の売り場があるのか、トイレやエレベーターの場所などかなりの情報をサインに頼っていると思う。そしてそのサインの在り方によって建築内部の印象は大きく左右されると感じることが多いことは今までも感じていた。今回の講義のテーマである「サインと建築の程よい関係」とはどんなことなのだろうか。私個人の意見では程よい関係性とはその施設ごとに決められるものでも、サインを作る人によって決められるものでもないと思う。しかし「その施設を利用する人」という大きなくくりによって決定されるものでもないと思う。それは十人十色でありこれだと決めるのがとても難しいことのように感じた。講義の初めに宮崎さんが紹介してくださったKOLUMBAでは入場料、どこがチケット売り場なのか、作品の説明書きもないということだった。美術館側の意図するところは「いらない情報は出さない」ということであったが果たしてそれが「いらない情報」なのだろうか?確かにやたらとサインが多い施設では建築の中で文字がうるさいような印象を受けることはよくあるが、美術館では作品だけを見ても作者の主張や考えが全く理解できないことが多い。これが、ただシンプルな空間を作りたいからなのかそれとも入館者の立場に立っていらない情報と判断したのか疑問だと思う。実際にKOLUMBAに行ったことがあるわけではないので断定はできないが少なくともわたしはKOLUMBAの中でサインと建築が程良く存在しているようには思えない。宮崎さんも講義の中でサインをつくる側はどこに何があるのか分からないと言われてはならないとおっしゃっていた。過剰に表示をすることは建築の中で大量の情報が氾濫しているような印象を作り出してしまうと思う。だが利用者が求める最低限の情報を提供することは程よい関係には不可欠だと思う。
昨年、友人とニューヨークのメトロポリタン美術館に行ったときに表示がわかりずらく、かなりイライラした。ここでは情報量の不足というよりも情報の提供の仕方に問題があるように思った。建築内部が複雑なつくりであることに加え地図がわかりずらかったように思う。途中で目的のものを見つけるのを諦めてしまったほどであった。あまり意識することはないがサインは建築内部での行動や心理に密接に関わっていると感じた。宮崎さんのようにサインを専門に考える人がいるとは考えてみたことはなかったが、確かに情報をすっきりと整理して提供してくれる施設は初めて訪れた場合でも動きやすく心地よく過ごすことができる。電通ビルの例にもあったが更にそのサインのデザインが施設の印象と合っていると特別凝ったデザインでなくても私たちは「なんだかおしゃれだな」という印象を持つと思う。サインはその施設のイメージを決定づける大事な役割をはたしているとおもった。内部空間に関してもそうであるが、看板や外部に表示されるサインを大きな役割をはたしており例えば「スターバックスコーヒー」や「マクドナルド」と言われれば大部分のひとがその文字をぼんやりとでも想像できる。人の記憶に働きかけ、思い出させることができるサインは人と程よい関係で存在しているサインではないだろうか。今回の講義ではただ壁に書かれたサインだけでなくポールが動いたり立体的な矢印のサインが紹介されていた。また、書いてあるだけのものでも壁から床にかけ矢印が描かれているものもあり、ただ壁に書いてあるものに比べ躍動感があると思った。実際にポールが動いているようなものより書いてあるだけなのに動きがあるものは不思議な力があり、人の心に訴えかけるような効果があると思った。程よい関係性かは分からないが興味深いと思う。サインと建築の程よい関係は簡単には決められるものでないと感じた。だからこそ面白いと思う。
「イージーに」 〜サインと建築のほどよい関係 06D7076 中條貴彰
この前新宿の東急ビルで、おばさんたちが建物の案内板を三秒くらいしか見ていないにも関わらず、
「なにこれ、全然わからないわ~」
「ほんとね~誰かに聞いちゃいましょ、行きましょ行きましょ」
などと言ってそそくさと案内板の前を通り過ぎていくのを見ました。どんなにわかりやすく簡略化されたサインも、最速を極めんとする屈強なるおばさん達には通じないのではないかな、と不安を感じた瞬間でした。
そんなことを思いだしながら今回の宮崎先生の講演を聞いていたのですが、私達が普段目にするようなサインとは一味ちがった数々のサインを見せていただく中で、サインと建築のもつ関係性をはじめて感じたように思います。普段からサインというものを意識していなかったわけではないのですが、サインが建築とどう関係しているのかというのはまったくと言っていいほど意識したことがありませんでした。
宮崎先生の紹介してくださったサインと建築の様々な関係はとても興味深いものでした。KOLUMBAの美術館のようにサインを徹底的に減らしたものは、建築に対してサインがあまり主張しない代わりに、サインがもつ文字本来の魅力を引き出しているように思いましたし、office『Tag』は建築とサインとが一体となって存在を互いに強調しあう関係がそこには生まれているように思いました。さらにTagの場合、tagの文字が家具として三次元的に空間にあらわれることにより、二次元的なサインにくらべて、『Tag』という建築に統一感を生み出すための、いわゆる装置的サインにもなっているように感じました。
同じ三次元的なサインでも床壁一体のサインはこれとは違い、壁=情報、床=誘導という役割分担がなされているユニークなデザインだなと思いました。また『Tag』のそれとは違いこのサインは建築に統一感を生むようなものではなくて、見る人にわかりやすくという意図が伝わってきました。そのせいか建築に対してサインがもつ存在感が強いように感じ、建築を選ぶサインだとも感じました。
そして宮崎先生が言っていた矢印と建築は切っても切り離せない関係にあるという言葉は、なによりサインは人のためにあるという事と深く関係しているのだと思いました。そして矢印というサインがどれだけ建築と調和し、人々をわかりやすく誘導できるのかという事が冒頭でのべたような、屈強なおばちゃん達を容易に誘導するために必要なことのように感じました。むしろそれしかないのではとさえ思いました。
サインは建築内だけでなく、現在複雑化する都市の中でもかかせないものとなっています。それにたいしてより複雑になってしまいがちなサインを生み出すのではなく、見ればわかる、そんなサインを私たちは求めています。その中で建築、あるいは都市とサインのほどよい関係を見つけ出していくことの難しさを私は今回の講演を通して感じました。矢印のようにトイレのマークや、パーキングなど客観的に見て誰もが理解できるようなサインが少しずつ認識されてきたように、少し複雑になっただけでサインを見ることすらあきらめてしまう屈強なるおばちゃん達をもうならせるようなサインが増えていくことを私は楽しみにしています。
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DATE : 2008年11月17日
レポート W-studio (テクスト:塚田、ブログ作成:新倉)
写真提供 宮崎 桂
by a-forum-hosei
| 2009-02-01 22:02
| 2008

