2008年 12月 16日
第5回 小谷部 育子さん |
今回で5回目となる建築フォーラムでは日本女子大学教授である小谷部育子さんにおいでいただき、「究める」というテーマに対して「コレクティブハウジングという住まいのかたち」というタイトルで講演をしていただきました。

小谷部さんが設計、プロデュースした日本初の多世代型コレクティブハウジングである「かんかん森」の話から始まりました。



ランドリー、ゲストルーム、コモンリビング、コモンミール、工作スペース、キッズスペース、菜園スペース…などのたくさんの種類の部屋があり、「個人暮らしではできない暮らし方」ができるというものでした。

ランドリー

コモンリビング

工作室
その中でも週3回のコモンミールの時間で同じ釜の飯を食べることで、一般的な集合住宅ではなかなかできない人間関係を形成できます。
住人の中には「おかえりと言ってもらえること」のうれしさをおっしゃっている方もいました。

コモンミール
かんかん森には「がんばること住む人分の1」「楽しいこと住む人倍」というキーワードがあります。現在住まわれている方はこのキーワードのように苦労と喜びのある、日々変化のある生活を楽しまれているようです。
小谷部さんは最後に
「コレクティブハウジングという暮らし方は過ごしやすいと感じる人も入れば、そうでない人もいることを忘れてはいけません」
とおっしゃっていました。
数ある暮らし方の中の1つであるコレクティブハウジングを紹介していただき、自分にあった暮らし方について考えるとてもいい機会になりました。

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以下、学生のレポートです。
新しい住まいのかたち~小谷部育子さんの話を聞いて~
06D7003 阿久津 栄将
・コレクティブハウジングとは
コレクティブハウジングとは住戸と共用空間が一緒にあり、住人と住人とが緩やかにつながり一つ屋根の下に集い暮らしていく一種の集合住宅のことである。コレクティブハウジングは将来、戸建住宅、集合住宅に並び3つに大別される住宅タイプになるだろうと言われている、新しい住宅形態である。
コレクティブハウジングの考え方は「保育などの女性の家事から開放」と「子供たちに社会的に望ましい環境を与える」ことである。これによってコレクティブハウジングに住まうことは子供と家族の問題を解決する1つの手段といえるのである。
コレクティブハウジングの暮らしの理念は、住戸の延長に協働空間があり、個人の自立、自由の確保、その上で生活の一部を共同化、空間の一部を共同化であり、さらに主体的参画と協働である。そして1つのコミュニティを造り育むことである。
・コレクティブハウジングの歴史
コレクティブハウジングの発生は1970年代のスウェーデンである。当時女性の社会進出が盛んになってきたスウェーデンで、女性のためのライフスタイルを確立するために考案された考えである。
当初は居住者の公的住宅への民主的参画をし、仕事と子育ての両立や環境共生など居住者による集合的解決を目指す居住運動から始まった。
その後ビッグコミュニティに住むモデルへと変化し、協働や所有面積を少しずつ出し合ってコモンスペースをつくり出した。
日本ではあまり流行らなかったが2001年に計画が開始され、2003年にコレクティブハウスとして日本で最初の「かんかん森」がスタートした。
しかし現在でも日本で本格的にコレクティブハウジングといえるのは3つ目が着工した程度である。
・コレクティブハウジングで暮らす
人間と人間とが共に暮らすときいろいろな問題がある。その1つが文化の違いである。大きく分けて、男女の違い、世代の違い、人種の違いなどがありさらに細かく分けていくと、職業の違い、宗教の違いなどである。しかし多文化交流は新たな文化を創造する可能性を持っている。だから共生を目指しお互いを尊重しあうことが重要である。
上記のようなことから「みんなで計画してつくる」ということがとても重要である。住む人が設計し、暮らしながらつくっていくのである。決して多数決で決めず定例会などで一人ひとりの意見を尊重することが必要である。そして違う考えや、価値観に出会い互いに成長していくのである。
・かんかん森
かんかん森とは日暮里にある、日本で一番初めに始まった賃貸集合住宅のコレクティブハウジングである。
かんかん森には2DKや単身者用やルームシェア用など様々なタイプの住戸が含まれており、家賃は8万から17万程度である。またかんかん森には仕事やパーティをすることのできるコモンスペースや、業務用の鍋などが置いてあるコモンキッチンや、4台の洗濯機が置いてあるランドリールーム、工作テラスや菜園テラス、キッズルーム、来客ルームなどが備わっている。
週に3回のコモンミールと呼ばれている合同夕食が行われ、そこでたくさんの人と人間関係を育んでいる。またコモンスペースの掃除や庭の手入れなどもみんなで協力してこなしている。誰かが特別な権力を持つわけではなく、みんなでかんかん森をつくっているのである。
かんかん森のキャッチフレーズは「がんばること住んでいる人分の1、楽しさ住んでいる人倍」である。これはとてもすばらしいことである。みんなで協働したり話し合うことでこれが実現されているのである。
かんかん森とは人間関係のあるマンションで、新しい出会いをし、友達でもなく家族でもない新しい関係を築き、毎日が同じことの繰り返しではなく、毎日が新しい貴重な体験ができる場なのである。
・講演を聞いて思ったこと
今回小谷部さんの話を聞くまで私はコレクティブハウジングというものを知らなかった。だからこの話を聞いて、住形態にはこんなものがあるのだとか本当に感動の連続だった。
中でも一番感銘を受けたのが、かんかん森では友達でもなく家族でもない新しい関係が築けるということである。これは普通に戸建住宅や集合住宅に住んでいては絶対に築けず、かんかん森のようなコレクティブハウジングでしか成しえないと思う。
小谷部さんがコレクティブハウジングは将来、戸建住宅と集合住宅に並ぶ住まいの形態成るであろうと言っていたが、確かにそうであると思う。今日の生活ではよく隣に誰が住んでいるかわからないなど地域のつながりがどんどんと薄れてきていると思う。なのでこのつながりを復活させる簡単な方法として、コレクティブハウジングに住まうことはとてもよいことであると思う。また伝統の技のども老人と暮らすということで受け継がれていくと思う。だから子供たちにとっても、間近で伝統芸が見られる可能性があり、とてもよいことだと思う。それに老人たちにとっても、誰かが常に近くにいるため一人で暮らしているよりずっと安全であると思う。
しかしコレクティブハウジングの住形態が合わない人もいるだろう。だからどんどんコレクティブハウジングを増やせというわけではない。だが日本でも将来確実にこの数が増えていくだろうと思う。コレクティブハウジングにはたくさんの魅力があるからだ。
「住まい方の提案」
06D7062 柴 侑里
〔講演のポイント〕
○かんかん森(コレクティブハウジング)
・コモンスペースとは居住者の共有の場である。
・住戸の型種が様々で単身者、家族、シェアなどそれぞれの住まい方が出来るように作られている。
・コモンスペースには様々な機器、家具、道具があって自由に使うことができ、空間だけではない共有を行い、その管理も居住者たちによって行われている。
・コモンミールなどの居住者同士のコミュニケーションの機会が設けられている。
・人間関係のあるマンションのようなものである。
・他人、家族ではない新しい関係があり、子育てにとっても望ましい環境がある。
・かんかん森は初期の入居希望者とNPOによる話し合いやワークショップを経てつくられた。
・同じ建物内の診療所、保育園でのつながりや前庭の整備を行うなどのイベントを通して、ハウス外との交流の場を得る。
○コレクティブハウジングについて
・スウェーデン発祥で、女性の社会進出が増える中で、家事など生活のことを助け合う関係を作り出す為に考えられた。
・コレクティブハウジングにおける性差や年齢、障害などを文化の違いと捉えたとき、多文化交流の中で新しい文化創造が生まれる可能性に期待が出来る。
・使いながらつくる場所である。
・昨今の家族の在り方は、各家庭の孤族化、生活の孤人化を招き、少子化などの社会問題を引き起こしている。
・コレクティブハウジングにおける保育や食事など、家事の協働化は、女性の解放、家族の孤立化による子供教育の救済となり、子供と家族の問題を解決する手立てとなる。
・住戸としての独立した個人の場と、住戸の延長の共用の場の二種在る。
・個人の生活はシンプルに、社会生活は豊かにしようとしている。
・居住者が主体的に創り育む集住態である。
・建築家は空間の配置構成や環境計画を行うが、つくりこむことはしない。
・動線計画は、居住者のプライベートとパブリックの感じ方に関係があり、複数化することが重要である。
・住人の入れ替えによる新陳代謝が新鮮なエネルギーとなる。
・居住者には、自主性、積極性が必要である。
・コレクティブハウジングでは、自分たちで暮らしの環境をつくるということが重要であり、そうすることによって、愛着が湧く。
・建築家は「住み手がつくっていく家」を提案するという立場から、企画やリーダーシップをとることが役目であるが、その主体を徐々に住民へ移していく。
今回、小谷部さんに「コレクティブハウジングという住まいのかたち」という題で講演していただいた。
理想の住まいを考えるとき、そこが住む人にとって一番の落ち着きや居場所感を提供できる、温かさや優しさを持つものが浮かぶ。それら温かさ、優しさといったものは、家の佇まいや光の明るさ、緑など感覚的に感じることの出来るものと人と人のつながりによって感じられるものが挙げられると思う。人がどこかに住むとき、家族はもちろん、隣人や同じ町の人々と同じ地に住むという関係が生まれる。昔は、人は住む地で寝食をし、働き、それによって周りの人たちとのつながりが必然的に生まれ、その関係を大事にしてきたのだと思う。しかし、現在は住むことと働くことは別の地で行われる。だから同じ町、地に住む人との関係は作らなくても何の支障もなく生きていくことが出来てしまう。人とのつながりは生きることを豊かにするものだと思う。逆に、つながりが途絶え、独り、家族単位でだけの住まいの場は、得ることの出来るはずの豊かさを生み出せず、淡々としたひんやりとしたもののように思える。今回お話していただいたコレクティブハウジングは、人とのつながりによってつくられ、それによって、今までの住まいが失ってしまったつながりによる温かさを持っていたと思う。周りの人とのつながりが、独りではないといった安らぎや思いやるという意識を生み、毎日の生活を穏やかで豊かなものにしていると感じた。
住まい方を提案することで、人に豊かさを生み出させることにつながる。建築を考えていく中で、プログラムが人に対し、いかに作用するのかとても重要なことだと思う。プログラムによって人を生き生きさせることも出来るし、人が流れるだけのつまらないものにもなってしまう。プログラムによって存在意義の有無が問われるのではないか。建築のデザインは人の行動をデザインすることに近いと思う。どんなふうに感じてほしいのか、どんな行動を発生させたいのか、つながりを生み出したいのか。建築はその思考が充分に成された上で、かたちとなって成り立つべきなのだと思う。
小谷部さんがおっしゃった「人が建築をつくり、建築が人をつくる」という言葉が印象的だった。かんかん森の定例会で、居住者全員が交代で司会をされるという話があったが、司会なんて出来ないといっていた方がここで暮らしていくうちに出来るようになっていくという変化がとても魅力的に思え、プログラムの中で生活していくことが価値観や姿勢を更新したように感じた。住まい方を提案し、空間を提供するということが建築家の出来ることであり、そしてつくられた後は建築が力を持ち、そこにいる人々を変えていく。生活スタイルの変化によって失われてしまうものを今までには無かった方法で補うことを可能にする。住まい方を個に考えてしまいがちな中でも、生活を豊かに育んでいくかたちを変化に対応しながら提示していくことがこれからの家には必要だと思った。
コレクティブハウジング ―住民と家、そして建築家―
06D7128 輪島 梢子
コレクティブハウジングという住居形態について、私は今回の講演で初めてその存在を知りました。というよりも、共同居住型集合住宅というものがきっとあるのだろうということを思いつつも、きちんと名前がついているということを知らなかったのです。しかも、今までに思い浮かべるものといえば、いわゆるゲストハウスというような、学生や単身者に住民の層を絞ったものです。
様々な地域から集まった様々な世代、家族構成の人々が暮らしを共にし、新たに生まれる可能性を手にしていく、という考え方は一見これ以上ないほど素晴らしく感じますが、地域のコミュニケーションが希薄になった現代で本当に、持ちつ持たれつという関係を持続していくことが可能なのか、という風に、疑り深い私は感じてしまうのです。
多世代型の共同住居の存在を見聞きしたとしても、今回の講演のように、基本理念、目指すところ、住人の暮らしぶり等を詳しく聞く機会がなければ、上記のような考え方は払拭されずに、私の中でひとつの可能性を殺してしまっていたかも知れません。
それほど、今回の講演で説明されたコレクティブハウジングの成功は、私にとって意外なものでした。人間同士のコミュニケーションの成り立ちを、私自身かなり複雑に捉えていた、ということの再発見にもつながりました。
そもそも家族という観念について、「家と人」という対のものがそれぞれ単独で存在している、という固定観念として存在していたために、もっと柔らかな発想を見いだせなかったのだと思います。小谷部氏が言うところの「個・孤」の促進が進んだ現代において、言ってしまえば当たり前の考えを持っていた、ということになるのかもしれません。
新しい住居形態であるコレクティブハウスですが、かんかん森の場合は設計段階から住民が携わり、みな自ら暮らしを決定しているというお話でした。どれだけのコモンスペースを作るのか、週3回のコモンミールの継続は可能なのか、という検討、そしてそれぞれの得意を生かした担当の配分、3ヶ月に1度の掃除当番というような運営方式、皆が負担に思わない適当なラインでコミュニティを形成していく。この形態を知り、私が持ったイメージは「家」というよりも「村」でした。村には様々な人がいて、かつプライベートを守りながら共存していく、というイメージです。
そして住民が空間を形成していく限りにおいて、建築を勉強する私にとっては複雑な問題ですが、建築家は全くと言ってもいいほど必要ないのでは、という考えに行き当たりました。もちろん、ベースとなる建物を設計する「建築士」は必要なのでしょうが、匠としての「建築家」は、もはや出る幕がないのではないかと。もしその必要性があるとすれば、住民の暮らしをよりよくしたいという考えに基づき、住民と直に接することのできる専門的なアドバイザーとして、その存在価値が現れるのではないでしょうか。
私自身の率直な感想として、コレクティブハウジングという住居形態は、地域のつながりが希薄になった現代において、推奨されるべき形態だと思います。さらに色々な地域にコレクティブハウスが生まれれば、住民の意識が少しずつ変わるかもしれないとも考えます。
しかし、現在の形態に建築的提案が新たに加われば、また違った可能性が生まれることは確実です。建築家がその「村」の引率者となれば、建築という物質だけではなく、暮らしをも設計するものとして、自身新しい分野を得ることができると考えます。
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DATE : 2008年10月27日
レポート W-studio (テクスト:鈴木、ブログ作成:円城寺)
写真提供 小谷部 育子

小谷部さんが設計、プロデュースした日本初の多世代型コレクティブハウジングである「かんかん森」の話から始まりました。



ランドリー、ゲストルーム、コモンリビング、コモンミール、工作スペース、キッズスペース、菜園スペース…などのたくさんの種類の部屋があり、「個人暮らしではできない暮らし方」ができるというものでした。

ランドリー

コモンリビング

工作室
その中でも週3回のコモンミールの時間で同じ釜の飯を食べることで、一般的な集合住宅ではなかなかできない人間関係を形成できます。
住人の中には「おかえりと言ってもらえること」のうれしさをおっしゃっている方もいました。

コモンミール
かんかん森には「がんばること住む人分の1」「楽しいこと住む人倍」というキーワードがあります。現在住まわれている方はこのキーワードのように苦労と喜びのある、日々変化のある生活を楽しまれているようです。
小谷部さんは最後に
「コレクティブハウジングという暮らし方は過ごしやすいと感じる人も入れば、そうでない人もいることを忘れてはいけません」
とおっしゃっていました。
数ある暮らし方の中の1つであるコレクティブハウジングを紹介していただき、自分にあった暮らし方について考えるとてもいい機会になりました。

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以下、学生のレポートです。
新しい住まいのかたち~小谷部育子さんの話を聞いて~
06D7003 阿久津 栄将
・コレクティブハウジングとは
コレクティブハウジングとは住戸と共用空間が一緒にあり、住人と住人とが緩やかにつながり一つ屋根の下に集い暮らしていく一種の集合住宅のことである。コレクティブハウジングは将来、戸建住宅、集合住宅に並び3つに大別される住宅タイプになるだろうと言われている、新しい住宅形態である。
コレクティブハウジングの考え方は「保育などの女性の家事から開放」と「子供たちに社会的に望ましい環境を与える」ことである。これによってコレクティブハウジングに住まうことは子供と家族の問題を解決する1つの手段といえるのである。
コレクティブハウジングの暮らしの理念は、住戸の延長に協働空間があり、個人の自立、自由の確保、その上で生活の一部を共同化、空間の一部を共同化であり、さらに主体的参画と協働である。そして1つのコミュニティを造り育むことである。
・コレクティブハウジングの歴史
コレクティブハウジングの発生は1970年代のスウェーデンである。当時女性の社会進出が盛んになってきたスウェーデンで、女性のためのライフスタイルを確立するために考案された考えである。
当初は居住者の公的住宅への民主的参画をし、仕事と子育ての両立や環境共生など居住者による集合的解決を目指す居住運動から始まった。
その後ビッグコミュニティに住むモデルへと変化し、協働や所有面積を少しずつ出し合ってコモンスペースをつくり出した。
日本ではあまり流行らなかったが2001年に計画が開始され、2003年にコレクティブハウスとして日本で最初の「かんかん森」がスタートした。
しかし現在でも日本で本格的にコレクティブハウジングといえるのは3つ目が着工した程度である。
・コレクティブハウジングで暮らす
人間と人間とが共に暮らすときいろいろな問題がある。その1つが文化の違いである。大きく分けて、男女の違い、世代の違い、人種の違いなどがありさらに細かく分けていくと、職業の違い、宗教の違いなどである。しかし多文化交流は新たな文化を創造する可能性を持っている。だから共生を目指しお互いを尊重しあうことが重要である。
上記のようなことから「みんなで計画してつくる」ということがとても重要である。住む人が設計し、暮らしながらつくっていくのである。決して多数決で決めず定例会などで一人ひとりの意見を尊重することが必要である。そして違う考えや、価値観に出会い互いに成長していくのである。
・かんかん森
かんかん森とは日暮里にある、日本で一番初めに始まった賃貸集合住宅のコレクティブハウジングである。
かんかん森には2DKや単身者用やルームシェア用など様々なタイプの住戸が含まれており、家賃は8万から17万程度である。またかんかん森には仕事やパーティをすることのできるコモンスペースや、業務用の鍋などが置いてあるコモンキッチンや、4台の洗濯機が置いてあるランドリールーム、工作テラスや菜園テラス、キッズルーム、来客ルームなどが備わっている。
週に3回のコモンミールと呼ばれている合同夕食が行われ、そこでたくさんの人と人間関係を育んでいる。またコモンスペースの掃除や庭の手入れなどもみんなで協力してこなしている。誰かが特別な権力を持つわけではなく、みんなでかんかん森をつくっているのである。
かんかん森のキャッチフレーズは「がんばること住んでいる人分の1、楽しさ住んでいる人倍」である。これはとてもすばらしいことである。みんなで協働したり話し合うことでこれが実現されているのである。
かんかん森とは人間関係のあるマンションで、新しい出会いをし、友達でもなく家族でもない新しい関係を築き、毎日が同じことの繰り返しではなく、毎日が新しい貴重な体験ができる場なのである。
・講演を聞いて思ったこと
今回小谷部さんの話を聞くまで私はコレクティブハウジングというものを知らなかった。だからこの話を聞いて、住形態にはこんなものがあるのだとか本当に感動の連続だった。
中でも一番感銘を受けたのが、かんかん森では友達でもなく家族でもない新しい関係が築けるということである。これは普通に戸建住宅や集合住宅に住んでいては絶対に築けず、かんかん森のようなコレクティブハウジングでしか成しえないと思う。
小谷部さんがコレクティブハウジングは将来、戸建住宅と集合住宅に並ぶ住まいの形態成るであろうと言っていたが、確かにそうであると思う。今日の生活ではよく隣に誰が住んでいるかわからないなど地域のつながりがどんどんと薄れてきていると思う。なのでこのつながりを復活させる簡単な方法として、コレクティブハウジングに住まうことはとてもよいことであると思う。また伝統の技のども老人と暮らすということで受け継がれていくと思う。だから子供たちにとっても、間近で伝統芸が見られる可能性があり、とてもよいことだと思う。それに老人たちにとっても、誰かが常に近くにいるため一人で暮らしているよりずっと安全であると思う。
しかしコレクティブハウジングの住形態が合わない人もいるだろう。だからどんどんコレクティブハウジングを増やせというわけではない。だが日本でも将来確実にこの数が増えていくだろうと思う。コレクティブハウジングにはたくさんの魅力があるからだ。
「住まい方の提案」
06D7062 柴 侑里
〔講演のポイント〕
○かんかん森(コレクティブハウジング)
・コモンスペースとは居住者の共有の場である。
・住戸の型種が様々で単身者、家族、シェアなどそれぞれの住まい方が出来るように作られている。
・コモンスペースには様々な機器、家具、道具があって自由に使うことができ、空間だけではない共有を行い、その管理も居住者たちによって行われている。
・コモンミールなどの居住者同士のコミュニケーションの機会が設けられている。
・人間関係のあるマンションのようなものである。
・他人、家族ではない新しい関係があり、子育てにとっても望ましい環境がある。
・かんかん森は初期の入居希望者とNPOによる話し合いやワークショップを経てつくられた。
・同じ建物内の診療所、保育園でのつながりや前庭の整備を行うなどのイベントを通して、ハウス外との交流の場を得る。
○コレクティブハウジングについて
・スウェーデン発祥で、女性の社会進出が増える中で、家事など生活のことを助け合う関係を作り出す為に考えられた。
・コレクティブハウジングにおける性差や年齢、障害などを文化の違いと捉えたとき、多文化交流の中で新しい文化創造が生まれる可能性に期待が出来る。
・使いながらつくる場所である。
・昨今の家族の在り方は、各家庭の孤族化、生活の孤人化を招き、少子化などの社会問題を引き起こしている。
・コレクティブハウジングにおける保育や食事など、家事の協働化は、女性の解放、家族の孤立化による子供教育の救済となり、子供と家族の問題を解決する手立てとなる。
・住戸としての独立した個人の場と、住戸の延長の共用の場の二種在る。
・個人の生活はシンプルに、社会生活は豊かにしようとしている。
・居住者が主体的に創り育む集住態である。
・建築家は空間の配置構成や環境計画を行うが、つくりこむことはしない。
・動線計画は、居住者のプライベートとパブリックの感じ方に関係があり、複数化することが重要である。
・住人の入れ替えによる新陳代謝が新鮮なエネルギーとなる。
・居住者には、自主性、積極性が必要である。
・コレクティブハウジングでは、自分たちで暮らしの環境をつくるということが重要であり、そうすることによって、愛着が湧く。
・建築家は「住み手がつくっていく家」を提案するという立場から、企画やリーダーシップをとることが役目であるが、その主体を徐々に住民へ移していく。
今回、小谷部さんに「コレクティブハウジングという住まいのかたち」という題で講演していただいた。
理想の住まいを考えるとき、そこが住む人にとって一番の落ち着きや居場所感を提供できる、温かさや優しさを持つものが浮かぶ。それら温かさ、優しさといったものは、家の佇まいや光の明るさ、緑など感覚的に感じることの出来るものと人と人のつながりによって感じられるものが挙げられると思う。人がどこかに住むとき、家族はもちろん、隣人や同じ町の人々と同じ地に住むという関係が生まれる。昔は、人は住む地で寝食をし、働き、それによって周りの人たちとのつながりが必然的に生まれ、その関係を大事にしてきたのだと思う。しかし、現在は住むことと働くことは別の地で行われる。だから同じ町、地に住む人との関係は作らなくても何の支障もなく生きていくことが出来てしまう。人とのつながりは生きることを豊かにするものだと思う。逆に、つながりが途絶え、独り、家族単位でだけの住まいの場は、得ることの出来るはずの豊かさを生み出せず、淡々としたひんやりとしたもののように思える。今回お話していただいたコレクティブハウジングは、人とのつながりによってつくられ、それによって、今までの住まいが失ってしまったつながりによる温かさを持っていたと思う。周りの人とのつながりが、独りではないといった安らぎや思いやるという意識を生み、毎日の生活を穏やかで豊かなものにしていると感じた。
住まい方を提案することで、人に豊かさを生み出させることにつながる。建築を考えていく中で、プログラムが人に対し、いかに作用するのかとても重要なことだと思う。プログラムによって人を生き生きさせることも出来るし、人が流れるだけのつまらないものにもなってしまう。プログラムによって存在意義の有無が問われるのではないか。建築のデザインは人の行動をデザインすることに近いと思う。どんなふうに感じてほしいのか、どんな行動を発生させたいのか、つながりを生み出したいのか。建築はその思考が充分に成された上で、かたちとなって成り立つべきなのだと思う。
小谷部さんがおっしゃった「人が建築をつくり、建築が人をつくる」という言葉が印象的だった。かんかん森の定例会で、居住者全員が交代で司会をされるという話があったが、司会なんて出来ないといっていた方がここで暮らしていくうちに出来るようになっていくという変化がとても魅力的に思え、プログラムの中で生活していくことが価値観や姿勢を更新したように感じた。住まい方を提案し、空間を提供するということが建築家の出来ることであり、そしてつくられた後は建築が力を持ち、そこにいる人々を変えていく。生活スタイルの変化によって失われてしまうものを今までには無かった方法で補うことを可能にする。住まい方を個に考えてしまいがちな中でも、生活を豊かに育んでいくかたちを変化に対応しながら提示していくことがこれからの家には必要だと思った。
コレクティブハウジング ―住民と家、そして建築家―
06D7128 輪島 梢子
コレクティブハウジングという住居形態について、私は今回の講演で初めてその存在を知りました。というよりも、共同居住型集合住宅というものがきっとあるのだろうということを思いつつも、きちんと名前がついているということを知らなかったのです。しかも、今までに思い浮かべるものといえば、いわゆるゲストハウスというような、学生や単身者に住民の層を絞ったものです。
様々な地域から集まった様々な世代、家族構成の人々が暮らしを共にし、新たに生まれる可能性を手にしていく、という考え方は一見これ以上ないほど素晴らしく感じますが、地域のコミュニケーションが希薄になった現代で本当に、持ちつ持たれつという関係を持続していくことが可能なのか、という風に、疑り深い私は感じてしまうのです。
多世代型の共同住居の存在を見聞きしたとしても、今回の講演のように、基本理念、目指すところ、住人の暮らしぶり等を詳しく聞く機会がなければ、上記のような考え方は払拭されずに、私の中でひとつの可能性を殺してしまっていたかも知れません。
それほど、今回の講演で説明されたコレクティブハウジングの成功は、私にとって意外なものでした。人間同士のコミュニケーションの成り立ちを、私自身かなり複雑に捉えていた、ということの再発見にもつながりました。
そもそも家族という観念について、「家と人」という対のものがそれぞれ単独で存在している、という固定観念として存在していたために、もっと柔らかな発想を見いだせなかったのだと思います。小谷部氏が言うところの「個・孤」の促進が進んだ現代において、言ってしまえば当たり前の考えを持っていた、ということになるのかもしれません。
新しい住居形態であるコレクティブハウスですが、かんかん森の場合は設計段階から住民が携わり、みな自ら暮らしを決定しているというお話でした。どれだけのコモンスペースを作るのか、週3回のコモンミールの継続は可能なのか、という検討、そしてそれぞれの得意を生かした担当の配分、3ヶ月に1度の掃除当番というような運営方式、皆が負担に思わない適当なラインでコミュニティを形成していく。この形態を知り、私が持ったイメージは「家」というよりも「村」でした。村には様々な人がいて、かつプライベートを守りながら共存していく、というイメージです。
そして住民が空間を形成していく限りにおいて、建築を勉強する私にとっては複雑な問題ですが、建築家は全くと言ってもいいほど必要ないのでは、という考えに行き当たりました。もちろん、ベースとなる建物を設計する「建築士」は必要なのでしょうが、匠としての「建築家」は、もはや出る幕がないのではないかと。もしその必要性があるとすれば、住民の暮らしをよりよくしたいという考えに基づき、住民と直に接することのできる専門的なアドバイザーとして、その存在価値が現れるのではないでしょうか。
私自身の率直な感想として、コレクティブハウジングという住居形態は、地域のつながりが希薄になった現代において、推奨されるべき形態だと思います。さらに色々な地域にコレクティブハウスが生まれれば、住民の意識が少しずつ変わるかもしれないとも考えます。
しかし、現在の形態に建築的提案が新たに加われば、また違った可能性が生まれることは確実です。建築家がその「村」の引率者となれば、建築という物質だけではなく、暮らしをも設計するものとして、自身新しい分野を得ることができると考えます。
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DATE : 2008年10月27日
レポート W-studio (テクスト:鈴木、ブログ作成:円城寺)
写真提供 小谷部 育子
by a-forum-hosei
| 2008-12-16 16:12
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