2008年 11月 19日
第一回 高間三郎先生 |
第一回目となる法政大学建築学科・建築フォーラムは科学応用冷暖研究所 高間三郎先生に講演していただきました。
講義の流れとしては、高間先生の手がけられた作品を軸に、ヒートポンプやダブルジャロジー、光触媒散水スクリーンなど、様々な環境設備技術をご説明して頂きました。
NEXT 21 Ecological Design
大阪ガスが株式会社が企画した、
地球環境・エネルギー問題、都市環境問題、 高齢化問題など今後起こりえる社会変化、住ニーズの変化等をふまえ
問題解決にすこしでも近づくための、 21世紀の都市型集合住宅のあり方を考える実験住宅。
植物を建築に取り込んだり、最新燃料電池をエネルギーとして試験導入するなど
最新技術を段階的に導入している。
NEXT21 俯瞰
サーモグラフによる冷却効果実証
光触媒散水スクリーン(日産車体)
紫外線を受けることにより酸化チタン薄膜表面が超親水性となり
材の表面に薄い水の膜を形成することができる技術を導入。
導入部の室内気温を2℃下げることに成功。
外観
酸化チタン薄膜による水の膜
サーモグラフィ
UCA Project
カザフスタン・キルギス・タジキスタンにおいて
国連所属の中央アジア大学を設立し、この地域に西欧的教育を行う施設。
環境的には、東京の1.5~2倍の日射がありながら気温は低い。
ここではスラブ自体に冷気を通して行う輻射冷暖房を行う。
建築と設備の融合が行われている。
外観
輻射冷暖房 断面図
実際の様子
以下、学生授業レポートを転載します。
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「生き残る建築とは」
環境デザインと設備を聞いて
06d7062
柴 侑里
今回、高間三郎さんに「環境デザインと設備」という題でお話をしていただいた。
設備とは、人間にとって不便なところを補なったり、快適さを与えるものととらえていた。暑かったり、寒ければ冷暖房機を、暗ければ明かりを、階数が増えればエレベーターを…と自然に対して何かを消費して無理に抵抗するようなイメージだった。なので、窓が少なくなったり、高層化ばかり進んだりというあまり良いイメージを持てずにいたところがある。しかし、環境問題が大きくなってきた現在では太陽熱や水による冷却など、燃料消費という形ではないものが積極的に使われているのだということを高間さんのお話で知った。
高間さんの講演のなかで印象的だったのは、環境デザインを考える上でいきなり太陽熱だとか水による冷却を考えるのではなく、その場にあったかたちを考えるということだ。そして、そこの気候や建物のコンセプト、必要とされる機能を考慮した上で決められていく環境デザインが、その建築の表象の一部になっているということが興味深かった。ハイテックを持ち寄れば、その建築は最先端の優れたものと成り得るが、10年、15年もつものとは限らない。また、どこに作っても同じ表情を持つものになってしまう。実際、どこの国でも、都会の街並みでもそんなに変わったように見えない。エコロジーを無視しては、現在の世界では生き残る建築とはいえないのだということも最もだと思った。自然の制限から自由になった今の建築は環境を壊す一因ともなってきている。その土地特有の風土条件を無視した建築はヴィジュアル的にも違和感を覚えるし、人間本来の感覚を鈍らせるものだと思う。建築を学んでいる身としては、これから作られていくものが環境にとっても人にとっても悪影響を及ぼすものとなってしまうのは悲観することである。高間さんにはこれからもっと取り入れられていくべき環境デザインが採用されている作品を見せていただいた。どの作品も固有の顔を持ち、建築家の意図や使う人たちの環境に対する気持ちが表れていると感じた。
地球全体の環境を考えることは難しいが、環境デザインをする上で、建築家に出来ることはその土地に対して可能性を見つけ、利用者やその周りに住む人たちに対してどのようなアプローチをしていけるかを考えることだと思う。その場その場のことを考えることで、人特有の感覚や発想を生み出すことができるのではないか。水、光や風を使った環境への対処は打ち水や庇、植栽など、昔ながらの日本人が行ってきたことと求める効果は似ているよに思う。本来持つ感覚が設備技術の発展により、見えなくなってしまったところがある気がした。だから、設備をフルに使った建築に対して素直に良いイメージを抱くことが出来なかったのだと思う。
生き残る建築を考えることは植物とのつながりを考えること、植物とのつながりを考えるということは農業とのつながりを考えることという高間さんの言葉が印象的だった。建築は建ててしまえばその時点がベストで、それ以上に機能が上がったりすることはない。そこから、年月を経て老朽化に耐えることが始まる。対して、木は成長し、自らが環境を作っていくことが出来る。10年、15年後と変わっていく力強さに可能性があるという魅力が感じられる。農業もそこの土を知り、そこに合った作物の種を植え育てていく。育っていくという期待感が人を惹きつけ、農業に対する姿勢を持たせているように思える。建築も同じように育っていくことが出来れば、人々の本能に何か響くようなものを生み出せるのではないか。生き残る建築は、そのときの環境に対してベストな解答とその先を見据えた展開や変化をもつものではないかと思った。
高間さんに環境デザインと設備について講演していただいて、環境に対して考えられたデザインを知ることが出来た。また、同時にいまの社会の設備の現状が、何年もこの先もつものではないということを感じることのできる機会ともなった。その土地の雰囲気や人だけでなく、環境という要素にちゃんと向き合った建築が本当に人の感覚に語りかけ、心地よさをもたらすことの出来るものになれるのだと思った。
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「エコロジカル」な未来
―「環境デザインと設備」を聞いて―
06D7107 水鳥沙織
「エコロジカル」な未来
エコロジカル【ecological】
[形動]生態上の。生態学的な。また、自然や環境と調和するさま。「―な商品」「―な素材」
(「大辞泉」より)
そもそも「エコロジー」とは、ギリシャ語の「家」(oikos)という言葉に由来し、「環境」の語源となっている言葉である。
このレポートでは環境と建築の関係について、講義で聞いた内容とともに自分なりの考えをまとめてみようと思う。
―「建築」は物体でありながら人に多大な影響を及ぼす。―
そしてそれは単独では存在し得ない。建築の本質は常にその土地や周辺環境との関わりの中にあり、またそこに棲みそこを訪れる人々の記憶の上に存在する。
建築を考える上で、今や自然や環境について全く無視された建築など受け入れられないであろう。「エコ、エコ」と騒がれるこの時代、そして21世紀、これからの時代はまさにエコロジカルな建築やデザインが求められる。
今回お話いただいた高間講師の挙げる建築はどれも環境共生のありかたを未来のものとして考えているのではなく、実用的なものとして、また実用化された中で考えられていて、具体的な事としてとらえることができた。
「環境デザイン」がテーマとなった今回の講義であるが、一言で言ってしまってもその対象は建築、インテリア、空間、まちなみなどの都市景観、ランドスケープデザインとしての造園行為や森林施業、社会システム…と、身近なものから地球規模の大きい範囲まで存在する。
そしてその中でも今回は地球環境に配慮された商業施設や学校が題材となった。
住宅や学校施設などは人々が1日の多くの時間を過ごす場所である。それゆえその環境というものは、当然のことながら過ごしやすいものでなくてはならない。そしてそれは商業施設においても同様に、そこを訪れる人々にとって快適な時間を過ごせるものでなくてはならない。
講義で挙げられた宮城県立迫桜高校は、ソーラーシステムというシステムが設備の中で採用されていた。そもそもソーラーシステム自体をよく理解していなかったので、調べて自分なりに解釈してみたところ、簡単にまとめると、
①太陽のエネルギーには「熱」と「光」がある。
②OMソーラーでは太陽の「熱」を空気にのせて運び、建物全体を床下から温めたり、水からお湯をつくったりして利用するシステム
のことを言うようである。
つまり迫桜高校では、普段私たちが使っている電気のエネルギーで暖房を使用するのではなく、集熱屋根に集められた太陽の熱で温風床暖房を使用している。
その他にも、外気の影響を受けやすいガラスの屋根に水を撒くことによって輻射環境をよくするという取り組みがなされた建物や、窓を「ダブルジャロジー」という複層ガラス窓にすることによって、自然換気に有効であるばかりではなく、自然の光をふんだんに取り入れられるという建物もあった。
正直、埼玉の小学校で本当に全館冷暖房完備にする必要があったのかは疑問であるが、この学校に挙げられるように、学校施設や商業施設、さらに範囲を広げれば都市空間やひいては地球全体が過ごしやすい場所であるように、これからの時代は人間の手によって作り出されたエネルギーを使用するのではなく、太陽の光や熱、風や水といった地球の恵みを利用して暮らしのあり方や環境共生について考えていかなければならないと思う。
「使用」するのではなく、「利用」するのだ。両者は似ているようであるが、私はそこを明確に分けて考えてゆくべきであると考える。
地球の恩恵を、現在の我々だけが甘受するのではなく、後々の子孫に残すことこそが、責任と義務である、とこの講義を通して改めて考えることができた。
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それだけじゃダメなんだ ~高間三郎さんの講演を聞いて~
06d7024 大石 涼介
「温度だけじゃダメなんです。」
その言葉にドキッとしたのは冷房で、のどをやられた自分だった。
我々は生き残ることからいつしか快適さを求めるようになった。しかし暑くなったからといってボタンを押すだけで涼しくなるのは一時的な快楽でしかない。
教育現場でも冷暖房を取り付けることが当たり前になってきた。もちろん予算の関係もあるが、自分は廊下までにも暖房機を取り付ける必要はないと思う。
寒いから子供達は元気に走り回る。しかし暖房で快楽を得た子供達が走り出すだろうか?とにかく体で感じて行動するということは重要であることだ。このことは、「人は常に体で何かを感じていると思う。」という高間さんの言葉を聞いて確信した。住吉の長屋の外廊下が意図するところもそこだろう。自然との足踏みをそろえなければどんな建築も意味を成さないのだ。
長い間、建築と設備は別々の道を歩んでいた。高度経済成長期はそれで利益を上げてきたが、最終的に生み出されたのは弾けたバブルと、環境問題だった。
ようやく設備と建築が一体として考えられるようになったのはつい最近のことである。水によって建物を冷却するも、疎水性、表面張力などから、水の広がり方などを通して建築と設備が足踏みをそろえなければできない。外気がテルモテックシステムのような通気システムも当てはまる。
建築と設備だけでなく、自然との足踏みをそろえていかなければならない。どんなに外の空気を暖めて循環しようとしても雪によって通気候を塞がれては意味がない。もちろん太陽光も、水も建築と足踏みをそろえければ意味がない。
最近は開発した後でも水辺を作れば許されると、ビオトープが免罪符的な役割を持つようになってしまったように思えるが、地球のたまごは違う。浜名湖に建つ建築として排水から、鰻の成育など様々な難題を解決するためにその土地で努めてきた。地球のたまごは、バブルの時代に開発された荒地が、生命と足踏みをそろえるための建築でもある。
高間さんは、解決策をストーリーと言っていた。それは場所や状況によりそれぞれの手法が生まれてくるからだと思う。アクアミュージアムや馬小屋、学校などの様々な生命の存在の仕方がある。そのような意味でも高間さんは「生き残るための建築」を作っているのではないか。
「水を出すだけ、温度を下げるだけ・・・それだけじゃダメだ 足踏みをそろえるストーリーが必ずあるはずだ。」
そう高間さんが訴えていたように思える。
私は講演を通して、環境デザインとは人間が作りだした環境と、使用者である人間の関係性に立脚した計画であり、人と人を取り巻く自然の関係が生まれるものだと考えるようになった。その認知には環境によって影響を受けるアフォーダンスがあり、その生活する環境を探索することによって獲得することのできる価値を生み出してくれる。
高間 三郎
タカマ サブロウ
TAKAMA Saburou
(科学応用冷暖研究所所長 東京大学先端科学技術研究センター客員研究員)
早稲田大学 理工学系大学院 修士課程 終了
(株)大高建築事務所、東京電波株式会社環境設備部長を経て、(株)科学応用冷暖研究所設立
技術士(衛生工学部門)、一級建築士、建築設備士、建築設備検査資格者
DATE : 2008年9月29日
レポート W-studio (テクスト:高田、ブログ作成:大竹慶和)
写真提供 高間三郎
講義の流れとしては、高間先生の手がけられた作品を軸に、ヒートポンプやダブルジャロジー、光触媒散水スクリーンなど、様々な環境設備技術をご説明して頂きました。
NEXT 21 Ecological Design
大阪ガスが株式会社が企画した、
地球環境・エネルギー問題、都市環境問題、 高齢化問題など今後起こりえる社会変化、住ニーズの変化等をふまえ
問題解決にすこしでも近づくための、 21世紀の都市型集合住宅のあり方を考える実験住宅。
植物を建築に取り込んだり、最新燃料電池をエネルギーとして試験導入するなど
最新技術を段階的に導入している。
NEXT21 俯瞰
サーモグラフによる冷却効果実証
光触媒散水スクリーン(日産車体)
紫外線を受けることにより酸化チタン薄膜表面が超親水性となり
材の表面に薄い水の膜を形成することができる技術を導入。
導入部の室内気温を2℃下げることに成功。
外観
酸化チタン薄膜による水の膜
サーモグラフィ
UCA Project
カザフスタン・キルギス・タジキスタンにおいて
国連所属の中央アジア大学を設立し、この地域に西欧的教育を行う施設。
環境的には、東京の1.5~2倍の日射がありながら気温は低い。
ここではスラブ自体に冷気を通して行う輻射冷暖房を行う。
建築と設備の融合が行われている。
外観
輻射冷暖房 断面図
実際の様子
以下、学生授業レポートを転載します。
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「生き残る建築とは」
環境デザインと設備を聞いて
06d7062
柴 侑里
今回、高間三郎さんに「環境デザインと設備」という題でお話をしていただいた。
設備とは、人間にとって不便なところを補なったり、快適さを与えるものととらえていた。暑かったり、寒ければ冷暖房機を、暗ければ明かりを、階数が増えればエレベーターを…と自然に対して何かを消費して無理に抵抗するようなイメージだった。なので、窓が少なくなったり、高層化ばかり進んだりというあまり良いイメージを持てずにいたところがある。しかし、環境問題が大きくなってきた現在では太陽熱や水による冷却など、燃料消費という形ではないものが積極的に使われているのだということを高間さんのお話で知った。
高間さんの講演のなかで印象的だったのは、環境デザインを考える上でいきなり太陽熱だとか水による冷却を考えるのではなく、その場にあったかたちを考えるということだ。そして、そこの気候や建物のコンセプト、必要とされる機能を考慮した上で決められていく環境デザインが、その建築の表象の一部になっているということが興味深かった。ハイテックを持ち寄れば、その建築は最先端の優れたものと成り得るが、10年、15年もつものとは限らない。また、どこに作っても同じ表情を持つものになってしまう。実際、どこの国でも、都会の街並みでもそんなに変わったように見えない。エコロジーを無視しては、現在の世界では生き残る建築とはいえないのだということも最もだと思った。自然の制限から自由になった今の建築は環境を壊す一因ともなってきている。その土地特有の風土条件を無視した建築はヴィジュアル的にも違和感を覚えるし、人間本来の感覚を鈍らせるものだと思う。建築を学んでいる身としては、これから作られていくものが環境にとっても人にとっても悪影響を及ぼすものとなってしまうのは悲観することである。高間さんにはこれからもっと取り入れられていくべき環境デザインが採用されている作品を見せていただいた。どの作品も固有の顔を持ち、建築家の意図や使う人たちの環境に対する気持ちが表れていると感じた。
地球全体の環境を考えることは難しいが、環境デザインをする上で、建築家に出来ることはその土地に対して可能性を見つけ、利用者やその周りに住む人たちに対してどのようなアプローチをしていけるかを考えることだと思う。その場その場のことを考えることで、人特有の感覚や発想を生み出すことができるのではないか。水、光や風を使った環境への対処は打ち水や庇、植栽など、昔ながらの日本人が行ってきたことと求める効果は似ているよに思う。本来持つ感覚が設備技術の発展により、見えなくなってしまったところがある気がした。だから、設備をフルに使った建築に対して素直に良いイメージを抱くことが出来なかったのだと思う。
生き残る建築を考えることは植物とのつながりを考えること、植物とのつながりを考えるということは農業とのつながりを考えることという高間さんの言葉が印象的だった。建築は建ててしまえばその時点がベストで、それ以上に機能が上がったりすることはない。そこから、年月を経て老朽化に耐えることが始まる。対して、木は成長し、自らが環境を作っていくことが出来る。10年、15年後と変わっていく力強さに可能性があるという魅力が感じられる。農業もそこの土を知り、そこに合った作物の種を植え育てていく。育っていくという期待感が人を惹きつけ、農業に対する姿勢を持たせているように思える。建築も同じように育っていくことが出来れば、人々の本能に何か響くようなものを生み出せるのではないか。生き残る建築は、そのときの環境に対してベストな解答とその先を見据えた展開や変化をもつものではないかと思った。
高間さんに環境デザインと設備について講演していただいて、環境に対して考えられたデザインを知ることが出来た。また、同時にいまの社会の設備の現状が、何年もこの先もつものではないということを感じることのできる機会ともなった。その土地の雰囲気や人だけでなく、環境という要素にちゃんと向き合った建築が本当に人の感覚に語りかけ、心地よさをもたらすことの出来るものになれるのだと思った。
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「エコロジカル」な未来
―「環境デザインと設備」を聞いて―
06D7107 水鳥沙織
「エコロジカル」な未来
エコロジカル【ecological】
[形動]生態上の。生態学的な。また、自然や環境と調和するさま。「―な商品」「―な素材」
(「大辞泉」より)
そもそも「エコロジー」とは、ギリシャ語の「家」(oikos)という言葉に由来し、「環境」の語源となっている言葉である。
このレポートでは環境と建築の関係について、講義で聞いた内容とともに自分なりの考えをまとめてみようと思う。
―「建築」は物体でありながら人に多大な影響を及ぼす。―
そしてそれは単独では存在し得ない。建築の本質は常にその土地や周辺環境との関わりの中にあり、またそこに棲みそこを訪れる人々の記憶の上に存在する。
建築を考える上で、今や自然や環境について全く無視された建築など受け入れられないであろう。「エコ、エコ」と騒がれるこの時代、そして21世紀、これからの時代はまさにエコロジカルな建築やデザインが求められる。
今回お話いただいた高間講師の挙げる建築はどれも環境共生のありかたを未来のものとして考えているのではなく、実用的なものとして、また実用化された中で考えられていて、具体的な事としてとらえることができた。
「環境デザイン」がテーマとなった今回の講義であるが、一言で言ってしまってもその対象は建築、インテリア、空間、まちなみなどの都市景観、ランドスケープデザインとしての造園行為や森林施業、社会システム…と、身近なものから地球規模の大きい範囲まで存在する。
そしてその中でも今回は地球環境に配慮された商業施設や学校が題材となった。
住宅や学校施設などは人々が1日の多くの時間を過ごす場所である。それゆえその環境というものは、当然のことながら過ごしやすいものでなくてはならない。そしてそれは商業施設においても同様に、そこを訪れる人々にとって快適な時間を過ごせるものでなくてはならない。
講義で挙げられた宮城県立迫桜高校は、ソーラーシステムというシステムが設備の中で採用されていた。そもそもソーラーシステム自体をよく理解していなかったので、調べて自分なりに解釈してみたところ、簡単にまとめると、
①太陽のエネルギーには「熱」と「光」がある。
②OMソーラーでは太陽の「熱」を空気にのせて運び、建物全体を床下から温めたり、水からお湯をつくったりして利用するシステム
のことを言うようである。
つまり迫桜高校では、普段私たちが使っている電気のエネルギーで暖房を使用するのではなく、集熱屋根に集められた太陽の熱で温風床暖房を使用している。
その他にも、外気の影響を受けやすいガラスの屋根に水を撒くことによって輻射環境をよくするという取り組みがなされた建物や、窓を「ダブルジャロジー」という複層ガラス窓にすることによって、自然換気に有効であるばかりではなく、自然の光をふんだんに取り入れられるという建物もあった。
正直、埼玉の小学校で本当に全館冷暖房完備にする必要があったのかは疑問であるが、この学校に挙げられるように、学校施設や商業施設、さらに範囲を広げれば都市空間やひいては地球全体が過ごしやすい場所であるように、これからの時代は人間の手によって作り出されたエネルギーを使用するのではなく、太陽の光や熱、風や水といった地球の恵みを利用して暮らしのあり方や環境共生について考えていかなければならないと思う。
「使用」するのではなく、「利用」するのだ。両者は似ているようであるが、私はそこを明確に分けて考えてゆくべきであると考える。
地球の恩恵を、現在の我々だけが甘受するのではなく、後々の子孫に残すことこそが、責任と義務である、とこの講義を通して改めて考えることができた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それだけじゃダメなんだ ~高間三郎さんの講演を聞いて~
06d7024 大石 涼介
「温度だけじゃダメなんです。」
その言葉にドキッとしたのは冷房で、のどをやられた自分だった。
我々は生き残ることからいつしか快適さを求めるようになった。しかし暑くなったからといってボタンを押すだけで涼しくなるのは一時的な快楽でしかない。
教育現場でも冷暖房を取り付けることが当たり前になってきた。もちろん予算の関係もあるが、自分は廊下までにも暖房機を取り付ける必要はないと思う。
寒いから子供達は元気に走り回る。しかし暖房で快楽を得た子供達が走り出すだろうか?とにかく体で感じて行動するということは重要であることだ。このことは、「人は常に体で何かを感じていると思う。」という高間さんの言葉を聞いて確信した。住吉の長屋の外廊下が意図するところもそこだろう。自然との足踏みをそろえなければどんな建築も意味を成さないのだ。
長い間、建築と設備は別々の道を歩んでいた。高度経済成長期はそれで利益を上げてきたが、最終的に生み出されたのは弾けたバブルと、環境問題だった。
ようやく設備と建築が一体として考えられるようになったのはつい最近のことである。水によって建物を冷却するも、疎水性、表面張力などから、水の広がり方などを通して建築と設備が足踏みをそろえなければできない。外気がテルモテックシステムのような通気システムも当てはまる。
建築と設備だけでなく、自然との足踏みをそろえていかなければならない。どんなに外の空気を暖めて循環しようとしても雪によって通気候を塞がれては意味がない。もちろん太陽光も、水も建築と足踏みをそろえければ意味がない。
最近は開発した後でも水辺を作れば許されると、ビオトープが免罪符的な役割を持つようになってしまったように思えるが、地球のたまごは違う。浜名湖に建つ建築として排水から、鰻の成育など様々な難題を解決するためにその土地で努めてきた。地球のたまごは、バブルの時代に開発された荒地が、生命と足踏みをそろえるための建築でもある。
高間さんは、解決策をストーリーと言っていた。それは場所や状況によりそれぞれの手法が生まれてくるからだと思う。アクアミュージアムや馬小屋、学校などの様々な生命の存在の仕方がある。そのような意味でも高間さんは「生き残るための建築」を作っているのではないか。
「水を出すだけ、温度を下げるだけ・・・それだけじゃダメだ 足踏みをそろえるストーリーが必ずあるはずだ。」
そう高間さんが訴えていたように思える。
私は講演を通して、環境デザインとは人間が作りだした環境と、使用者である人間の関係性に立脚した計画であり、人と人を取り巻く自然の関係が生まれるものだと考えるようになった。その認知には環境によって影響を受けるアフォーダンスがあり、その生活する環境を探索することによって獲得することのできる価値を生み出してくれる。
高間 三郎
タカマ サブロウ
TAKAMA Saburou
(科学応用冷暖研究所所長 東京大学先端科学技術研究センター客員研究員)
早稲田大学 理工学系大学院 修士課程 終了
(株)大高建築事務所、東京電波株式会社環境設備部長を経て、(株)科学応用冷暖研究所設立
技術士(衛生工学部門)、一級建築士、建築設備士、建築設備検査資格者
DATE : 2008年9月29日
レポート W-studio (テクスト:高田、ブログ作成:大竹慶和)
写真提供 高間三郎
by a-forum-hosei
| 2008-11-19 02:37
| 2008